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初期のジャワ原人の古さ、明らかに

2020年1月15日更新

国立科学博物館、お茶の水女子大学など国内外9機関 14 名からなる国際共同研究グループが、インドネシアの世界文化遺産・サンギラン人類遺跡から出土するジャワ原人の年代を斬新な手法を用いて明らかにし、公表しました。ジャワ原人の古さについては、2つの編年案が20年以上に渡って対立していましたが、今回の研究結果から、混乱していた年代観が整理され、ジャワ原人の進化に関する謎の解明が大きく進むことが期待されます。

発表論文

題名

Age control of the first appearance datum for Javanese Homo erectus in the Sangiran area 
(ジャワ島サンギラン地域のホモ・エレクトスの初出現層準への年代制御 
[サンギラン遺跡のジャワ原人初出現時期の明確化])

掲載誌 Science(米科学誌  サイエンス)、367巻 210~214頁
公表日 日本時間 2020 年1月10 日(金)
著者

松浦 秀治(国立科学博物館客員研究員、お茶の水女子大学名誉教授)
近藤 恵(お茶の水女子大学准教授) 
ほか7機関12名

研究の背景

  およそ700万年前にアフリカ大陸で誕生したと考えられる人類は、いつ頃からユーラシア大陸へ、そして東方アジア地域へと進出したのか。また、それら分布を広げていった人類集団の進化の様相はどのようであったのか。この問題を考察する上で、東方アジア最古級の人類化石であるインドネシアのジャワ原人(学名はホモ・エレクトス)資料はその要として注目されてきました。ジャワ原人の化石は19世紀末から発見されていますが、特に、中部ジャワのサンギラン地域はその中心的な産地で、100点以上の人類化石が出土し、今日ではジャワ原人標本の約8割を占めるに至っています。こうしたことから、1996年には、人類進化史における当地域の重要性が認められ、世界文化遺産に登録されました。
  しかしながら、サンギラン遺跡の人類化石については、様々な年代が報告され、編年の枠組みが長い間統一されていませんでした。ここ二十年ほどは、ジャワ原人の最古のものは150万年前を超えるという「古い年代観」の主張(長期編年)が広く受け入れられ一般化してはいましたが、そこまでは遡らないという「若い年代観」を示す研究成果(短期編年)を支持する研究者もいて、混沌とした状況におちいっていました。このことがジャワ原人の人類進化史における位置づけと評価が定まらない要因となり、ひいては東方アジアの古人類に関する起源・進化系統論あるいは分類について様々な議論を生む一因ともなっていました。

研究成果の要点

  サンギラン地域には広範囲にわたって、火山灰などの火山砕屑物(さいせつぶつ)が挟まっていて、これが化石を含む地層が堆積した年代を推定する鍵となります。
  本研究では、火山砕屑物層に含まれるジルコン結晶に注目しました。ジルコンは、風化変質に強い鉱物であるだけでなく、フィッション・トラック法とウラン-鉛法という、それぞれ測られた年代の意味が異なる年代測定法を同じ試料に適用できることが強みになります。ただ、こうした斬新な組み合わせ手法を可能にするためには、それぞれの測定法の発展研究が前もって必要になります。特に、ウラン-鉛法が100万年前より後の時代に適用可能になってきたのは近年のことであり、そうした進展研究を含めて、本研究グループは準備を重ねてきました。
  そうした準備が整ったことで、2つの手法による年代測定結果の詳細な比較検討が可能となり、サンギラン遺跡のジャワ原人の年代が明らかになってきました。
  本研究の成果から、グレンツバンクと呼ばれる重要な鍵層の年代が90万年前であることが明瞭となり、「短期編年(若い年代観)」が支持されました(この結果は、本研究グループの兵頭らが2011年に発表した古地磁気法による研究結果と整合します)。加えて、当地域においてジャワ原人化石が出土する可能性がある一番下の地層が約130万年前(様々な誤差要因を最大限に考慮しても150万年前まで遡ることはない)と算出されたことは意義が大きく、最古のものは150万年前を超えるという二十年来の通説を見直す必要があることが示されました。

研究成果からの示唆と今後の課題

  サンギラン地域のジャワ原人は、化石の由来層と伴出する動物化石の違いから「前期グループ」と「後期グループ」に分けられていますが、両者には形態的にも大きな違いがあることが報告されています。
  この2つのグループは、グレンツバンクと呼ばれる層の直上が境になっていますが、本研究からグレンツバンクが90万年前であることが明らかとなりました。この90万年前の直後に世界規模の寒冷化が起きた時期があり、海面が約120メートルも低下して、マレー半島からジャワ島、カリマンタン島(ボルネオ島)にかけて広大なスンダランド(スンダ大陸)が出現し、アジア大陸との動植物群の交流が盛んになったと考えられます。この劇的な環境変化が上記の2つのグループの違いに見られるようなジャワ原人の変遷の要因であったことが示唆されます。
  また、海部陽介(国立科学博物館)らによれば、「前期グループ」の形態はアフリカの初期のホモ・エレクトスと似ていて、およそ170万年前に遡る初期の特徴をジャワ原人が有していることは進化史における課題(謎)のひとつでした。「前期グループ」は、ジャワ原人(注:ジャワ原人の生息時期は長く、最終出現年代はおよそ10万年前[最終的には10万年前頃まで生息していた]と考えられます)の一番古い集団をなしていますが、本研究の結果から、「前期グループ」は約100万年前を中心に、遡っても約130万年前と考えられることが明らかになりました。これは、ひとつには、アフリカの初期のホモ・エレクトスが、その特徴を保持しながらジャワ島に到達した可能性を示唆します。こうしたことから、アジアにおける人類の進化史に、また新たな視点からの研究調査が期待されます。

【取材に関する問い合わせ先】

お茶の水女子大学企画戦略課(広報担当)
TEL/FAX:03-5978-5105 / 03-5978-5545
E-mail:info@cc.ocha.ac.jp

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