お茶の水女子大学でスペシャルタナーレクチャー開催

お茶の水女子大学 「Special Tanner Lecture -21世紀の女性の生き方- 5月18日(水) 13:00-15:00」 OCHANOMIZU UNIVERSITY
お茶の水女子大学 「Special Tanner Lecture -21世紀の女性の生き方- 5月18日(水) 13:00-15:00」 OCHANOMIZU UNIVERSITY
Special Tanner Lecture
- 21世紀の女性の生き方 -
5月18日(木) 13:00-15:00
キャロル・ブラック
講演者紹介 キャロル・ブラック氏 トップイメージ

 キャロル・ブラック教授。大英帝国勲章(DBE)受勲。王立内科医協会および英国医学院フェロー。ケンブリッジ大学ニューナム・カレッジ学長。英国保健省および英国公衆衛生庁の衛生・労働専門委員。医療政策に関するナッフィールド・トラスト理事長。医療に関するウェールズ政府のベヴァン委員会委員。英国鉄道安全標準化機構の衛生・福祉政策グループ議長。プライスウォーターハウスクーパースの医療業界監督委員会会員。

 衛生・労働局長に在任中の2011年11月、英国政府の案件として英国の病気休業に関する独立調査を実施した際は、副議長を務めた。同報告書の提言は、職業適応サービス局などで現在実際に活用されている。

 王立内科医協会元会長。王立医学アカデミー元理事長。英国肺財団元理事長。またロンドンのロイヤル・フリー・ホスピタルに研究センターを設立。同センターは硬皮症等、結合組織の疾患の研究・治療で世界的に有名である。ナショナル・ポートレート・ギャラリー、労働財団、アッピンガムスクールでも理事を務める。

 キャロル・ブラック教授は、ニューナム・カレッジの学長。内科学の最高の地位を歴任し、現在は衛生および労働に関するハイレベルの政策顧問を務めている。

 私の最初の功績はおそらく、家族の偏狭な期待に反抗したことだと思います。私は、生まれ故郷に住み続け、靴工場か靴販売店で働くことになっていました。でも、私にはもっと何かできるという強い信念がありました。

 私の両親は、二人ともビクトリア時代の労働者階級の大家族に生まれました。晩婚で、なかなか子供ができず、やっと私が生まれたのは母が40代も半ばになってからでした。私の健康を考えてくれたのでしょう、両親は素晴らしい食事を与えてくれました。子供のころ、私はカールの金髪がふさふさした小さくて丸々と太ったミシュランマンのようでした。

 イレブンプラスの試験に何とか合格し、地元のグラマースクールに通いました。最初は、この制度に大きなショックを受けましたが、時と共に家庭環境に不満が募ってきました。私は大学がどういうものかはあまり分かっていませんでしたが、現状を抜け出せるという思いから、私にはとても素敵なものに思えました。もっといいものになりたいというこの感覚は、おそらく父から受け継いだのでしょう。父は素晴らしい美声の持ち主で、若い時分には王立音楽院の奨学金が得られるほどでした。しかし、音楽院に行くことは叶わず、その後、自分が歩むことがなかった人生についてひどく恨みがましくなりました。

 「もちろん、悩み事もありますが、成功を望むならば、挫折から早く立ち直ることのできる回復力を鍛えなければなりません。」

 私は学校で女子生徒総代を務め、それから寮長になり、その後ブリストルで学生自治会の会長に選ばれました。会長を務めたのは1年間でしたが、その機会を最大限活用しようという揺るぎない決断をしたことを覚えています。そんな若いときから、現在のリーダーシップを特徴付ける頑固さが表れていたのです。つまり、やってみる価値があると思うことは先延ばしにはしなかったということです。私を支えてくれたもう1つの特性は、めげないことです。どんなにうまくいかない日でも、ベッドに入ってよく眠れば、また新しい一日がやってきます。もちろん、悩み事もありますが、成功を望むならば、挫折から早く立ち直ることのできる回復力を鍛えなければなりません。私はどんな時でも、合意に基づいて前進を目指すことを大前提としていますが、重要なことについて対立が起きそうになったら、それを避けたりはしません。ブリキのヘルメットをかぶって、テフロンのコートを着て立ち向かいます。

 医学を学び始めたとき、私はすでに、大半の同級生よりも8歳年上でした。そのため就職について最も気がかりだったことは、そもそも職に就けるのかということでした。ただ医学が好きで、仕事中毒になっていたと思いますが、仕事だと思ったことは一度もありませんでした。やがて、本当に良い臨床部門または研究部門を構築する方法が分かるようになり、そこに優秀な方々に集まっていただいて、共に働くことができました。しかしながら、王立内科医協会の会長になるとは夢にも思いませんでした。会長になったとき、その地位に就いた女性は私でやっと2人目だったということもあり、これこそ成功だと感じました。私には変化を起こす影響力があることが分かっていました。困難なことからも逃げませんでした。そんなことをしたら、自分の顔を見られないと分かっていましたから。

 「組織を率いる立場にある人がやるべきことは、全力で組織を導き、支援し、守ることであり、善いことが起きるよう努力することです。」

 私は、ステュワードシップが重要であると考えています。それはニューナム・カレッジでの現在の私の役職でも同様です。組織を率いる立場にある人がやるべきことは、全力で組織を導き、支援し、守ることであり、善いことが起きるよう努力することです。指導者になると、つい尊大になったり利己的に振る舞ったりしがちですが、組織を衰退させる行いをするのは恐ろしいことです。良い仕事をすれば、尊敬が集まり、さらに別の仕事を任せられるようになるでしょう。ですから、個人的な成功というのは、前向きな変化を生み出したことによる副産物として得られるものなのです。

 私が現在のような経歴を得るためには、女性ができることやなれるものに対する期待値の低さを克服する必要がありました。メディカルディレクターになりたい、一部署を率いたいと思うことが全く問題ないことだと理解するまでには少し時間がかかりました。その経験から、私は指導的立場を目指す女性のメンタリングに強い関心があります。彼女たちにはとにかくやってみることだと積極的に鼓舞しています。目指すものにたどり着けなかったとしても、やはりその経験から学ぶことはあるものです。多くの女性は、トップになるためにしなければならないことを目の当たりにすると立ち去ってしまいます。全てを手に入れることができると言う人がいますが、私はそうは思いません。やはり何かを手放さなければなりません。重要なことは、それを選べるということです。あなたが立ち去らないという選択をするならば、あなたが本当にしたいことや最後の難関をどう乗り越えるかを決める手助けをしてくれる指導者がいます。十分な託児所など、実務面での整備が必要なのは言うまでもないことですが、重大な決断をする時に適切なサポートを見つけることもとても重要です。

 私の経歴においてもっとも重視したことは、挑戦し、リスクを負うことです。鏡をのぞいて、何も挑戦しなかったと気づくよりも、むしろ「やってみたけれど、うまくいかなかった」と言いたいのです。

下記のサイトから引用して日本語に翻訳しました。

https://www.cam.ac.uk/women-at-cambridge/profiles/carol-black