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 5月30日(土)に開催される第三回ホームカミングデイに先立ち、アメリカにて開かれた同窓会の報告が届きました。出席者のみなさんの生き生きとしたご様子が伝わってくるようです。どうぞお読み下さい。


 お茶大ベイエリア同窓会にお邪魔した。米国カリフォルニア州サンフランシスコを中心に、金門橋で繋がるノースベイ、ベイブリッジで繋がりUCバークレーなどがあるイーストベイ、サンフランシスコから地続きに南に下ってシリコンバレー、スタンフォード大学などがあるサウスベイを総称して、サンフランシスコ・ベイエリア、略してベイエリアと呼ばれている。

 多くの大学や教育研究機関を擁し、リベラルな風土で名高いこの地域に住むお茶大卒業生の同窓会は、年1回、春に開かれる。場所は、サンフランシスコのジャパン・タウン内のレストラン。同窓生は総勢24人だが、日程などの都合で今年集まったのは半数の11人、しかし1968年卒から1994年卒まで幅広い年代の方たちだ。さっそく自己紹介してもらった。

同窓会の様子  総じてみなさん、米国での暮らしに積極的意義を見つけていらっしゃる。渡米の発端は夫の転勤が多いが、その夫が日本に再転勤しても、こちらに残って自分のやりたいことや子どもの米国での教育を追及した方たちがいる。またプラス志向の米国だからこそ、これまでとはまったく異なるキャリアに挑戦された方もいた。たとえば日本文学からコンピューターサイエンスへ、英語教師から証券アナリストへ、教育学からIT関連の会社経営へ、といった具合だ。1960年代に台湾からお茶大に留学され、しかし近隣のアジア人に対する日本国内の偏見のために、卒業後の居を日本でなく米国に移した陳フェンフェンさんもいらっしゃった。長年後進のサポートをボランティアでなさったのち、74才の現在、なおサンフランシスコ州立大学に再入学されて勉学にいそしんでいらっしゃる。お茶大魂ここにあり、という感じがした。

 日本からは『お茶大ガゼット』のバックナンバー、絵葉書、130周年記念DVD、各種パンフレットなどを持参し、お茶大の風にしばし吹かれていただきつつ、「卒業生としてお茶大に何を望むか」をお尋ねした。一致した意見は、「情報提供」である。米国では同窓会システムが、大学運営には欠かせない。

 大学がまさに「母」校として、卒業生に「今の大学」の情報を与え続け、卒業生が母校の運営に協力するという相思相愛(?)の関係は、大学をサポートすることによって卒業生自身が後進を育てるという、文化と教育の再生産を可能にする。もちろんそこには、寄附が日常的におこなわれ、税制その他で優遇されてきたという米国独自の歴史的・社会的背景がある。しかし思えば日本の大学は、在籍中だけ学生を世話し、卒業・修了した後の手当は薄いという、いわば「そのときだけ教育」をしてきたのではないだろうか。

 お茶大は徽音堂改修協力の呼びかけ、3年前から始めたホームカミングデイ、近年の「大学院生修学奨学基金」など徐々に、卒業生と二人三脚でお茶大型次世代を育成する方向に舵を切っている。けれども残念なことに、まだまだ全卒業生には周知されていないことを実感した。今はホームページなど、世界中どこにいても情報を共有できるメディアがある。しかし、「ホームページは "ただそこにある" だけでは意味をなさない、そこにアクセスするための恒常的手引きが必要である」とは同窓生の弁。セキュリティなどクリアすべきことがあるだろうが、同窓生全員に配信できるMLがあれば、時間を縦横に動いて「いつもあなたの側(そば)にいるお茶大」が可能なような気がした。

同窓会の様子  では情報が共有されたら、具体的にどんな新しいことが可能になるだろうか。同窓生たちの話は、なおも盛り上がる。もっとも大きい利点は、キャリアの相互情報交流である。いついかなる社会においても、重要なのは「人」だ。「自分がやりたいこと」「自分たちが求める人」がうまく出会えるように、在校生と卒業生の間のコーポレイト・フェローのような役割を、お茶大はできるかもしれない。まだまだ女性が開拓する分野はたくさんある。また、臨場感溢れる情報提供によって、卒業生がふたたび母校で学ぶチャンス、母校で開かれるセミナーや講演に参加するチャンスも格段に増えるだろう。「知は力なり」。そこで何か新しい人生のヒントが、キラリと光るかもしれない。

 加えて、世界中にそして日本全国に散っている卒業生は、その地に移ってきた卒業生の良きアドバイザーになれるかもしれない。とくに外国の場合は、それがとてもありがたい。病気になったときなど、現地の医療情報は欠かせない。あるいはお茶大生が留学するとき、あるいは留学しようと考えているとき、その地在住の卒業生は、現地の豊富なネットワークから、日本にいるだけでは知りえない情報を提供することもできるだろう。あるいはホームスティ先として受け入れてくれるかもしれない。お茶大生は卒業生に、母校や日本や東京の日常を伝える窓口となるだろう。

 今年は期せずして、お茶大が新制大学として発足して60年目の年である。その歴史の上を軽やかに歩くがごとく、お茶大が情報の生産と集約と発信のベースとなって、数多くの卒業生をネットワークで繋げたら、たぶん卒業生・在校生一人一人の人生に、楽しい色合いが加わるような気がする。

 もちろん米国在住の卒業生らしく、大学への寄附には積極的意見が出た。しかし寄附の行方はかならずモニターされ、結果報告されること、少額からでも、またどんな方法でも可能なような、送り手重視のシステムを作ること、寄附者への細やかな配慮があることなど、具体的提言もいただいた。そしてちょうど使途を考えていた同窓会の預かり金を、さっそくお茶大に寄附して下さることになった。電光石火の行動力に感嘆、感謝。

 最後に、お茶大で受けた教育について聞いてみた。意見は二つあった。一つは、もう少し実地で使える知識を教えてほしいということ、つまり「卒業したら何ができるようになるか」が明確になってほしいという要望である。大学で何を学んだか、というときによく使われる英語はtrain(訓練)だ。社会に向けて何が教育・訓練されているのかが明確なほうが、学ぶインセンティヴも上がるだろう。他方の意見は、お茶大で教わったことは非常に役に立った、というものである。とくに「研究者としてのトレーニングは完璧に受けたので、米国に来ても何の問題もなかった」「生きていく上で、またアメリカで子育てする上で、頑張ることができた元(もと)になっている」という意見があった。貴重な言葉だ。そしてこの二つの意見は、二つの意見グループに分かれるというよりも、全員が両方の意見を持っていたように見えたのが印象的だった。

 紺碧の空のカリフォルニアにしては珍しい5月の雨のなか、集まった同窓生たちは、広報室長から差し入れとして送って下さった校章付きお茶大饅頭と、校歌込みお茶大ゴーフルに驚き、舌鼓を打ちつつ、来年の逢瀬を約束して別れていった。

 世界は確実に狭くなっている、そして同時に、無限に広く拡がり始めてもいる。わたし自身、こちらで過ごした数か月の間にあらためて深く実感したことと、共振するひとときだった。

インタビュア 竹村和子 特派員
(UCバークリーで在外研究中)


広報推進室
担当:菅 聡子

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