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ワークショップ リポート


第四回「女性のグローバルな活躍のためのワークショップ」(2013年7月24日)報告

講師    安芸 早穂子 氏
          考古学イラストレーター、画家、ワークショップオーガナイザー

  

ワークショップ4_1 第四回ワークショップの講師は、これまでの講師の方とはがらりと路線が変わり、画家、イラストレーターの安芸早穂子(あきさほこ)氏が登場しました。安芸さんは古代縄文の暮らしを研究者とともに復元し、イメージに描き出すかたわら、日本各地の遺跡や博物館で絵画展やワークショップも行い、現代人に古代の人々の暮らしを通じて学ぶ機会を提案しておられます。

 今回のタイトルは、なんと「迷走のススメ」。脇道や寄り道をしてみようという、大学ではあまり耳にしないアドバイスですが、それには安芸さんのこれまでの実体験にもとづく人生哲学が表れています。安芸さんによれば、「迷走」とは寄り道人生のことだそうで、「時には〝高速道路〟を降りて、一般道を通ってみよう。その一般道がクネクネ曲がっていても、最終的にどこに行き着きたいかを知っていれば、つまり自分のビジョンを持っていれば、結局は行き着ける。しかも、ひょっとして、その道の途中ですばらしい発見があるかもしれない、ゴールへの思いもよらない行き方を教えてくれる人に出会えるかもしれない」というお言葉でスピーチは始まりました。これは自分の〝歩み方〟〝生き方〟を模索している学生さんにとって、大変貴重なアドバイスになったはずです。

ワークショップ4_2 お話は安芸さんのお仕事の解説から始まりました。考古学の分野で、縄文土器や縄文人の姿を復元イメージとして描き出す仕事をされてきたことを、三内丸山遺跡(※青森県にある、縄文時代を代表する遺跡のひとつ)に関わるお仕事を例にお話されました。考古学分野以外でも、中世吟遊詩人や、近世、近代史の絵もお描きになっていることを付け加えられました。

 さて、安芸さんは、なぜ、どうやって縄文文化に関わることになったのでしょうか。ここからが「迷走とその収穫」と題された第2部、安芸さんのさまざまな〝寄り道〟そしてその過程での出会いのお話です。安芸さんの人生は「ハマる」「コケる」「ハマる」「コケる」と、まさに「起伏の多い人生だった」そうです。安芸さんは京都市立芸術大学に入学されましたが、日本画の世界がまず「性に合わなかった」そうで、在学中にヨーロッパをバスで廻るスケッチツアーに参加し、美しい田舎の村々を訪ね廻ったのを機に、ヨーロッパ中世世界にハマっていきます。フランス、ピレネー、スペイン、イタリア諸国の忘れ去られたような古い礼拝堂、城壁に囲まれながら周りの山々と美しく調和している村々の姿に、目からウロコが落ちる思いだったと、安芸さんはおっしゃいます。後に縄文人の村を描くときに、この経験が大きく生かされたそうです。

ワークショップ4_3 その後、大学卒業と同時に、ヨーロッパをもっと自分で探求したいと、バックパッカーとしてヒッチハイクをしながらスケッチ旅行をします。フランス、イタリア、イギリスを巡り、どの土地でも忘れることができない光景、そして人との出会いがあり、安芸さんを変えていったといいます。この日本脱出は、それまでの自分の日常生活からの「脱出」であり、社会人になる前に自分を試す機会でもあったと付け加えられました。一人旅は何かと大変なものですが、それはツアー旅行と違って、この上なく自由でこの上なく自己責任、自分で切り開くことの喜びと、ポジティブにコミュニケーションする姿勢を、この旅の体験で学んだ、とおっしゃいました。

 帰国後は、東京で大手建設会社に就職。それが再び「コケる」時代の始まりだったそうですが、それは同時に「気づき」の時代でもありました。ちょうどバブル時代、務めた広報室では、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった広告代理店や出版業界の人々や仕組みを知る良い機会となったそうです。仕事に訪れる多くのクリエーターと出会いながら、自分はOLではなくクリエーターでいるべき人間だ、「No creation, No life」だと気づいて退職。しかしその後もすぐにはクリエイティブな仕事に出会えず、親の勧めでお見合いを繰り返すことになります。お見合いは成立しませんでしたが、これも男性を観察するまたとない機会となったそうです。その後、お花見の宴で知り合った国立民族学博物館の先生が安芸さんの才能を見抜き、縄文文化に関わるお仕事を始められます。

 一方で、バックパッカー時代にパリで知り合ったイギリス人の男性とご結婚され、大阪に定住することになり、お子さんも生まれました。夫はもとヒッピーの芸術家であったため、それまで以上に奇抜な芸術家に出会うことになりました。夫婦は、家族で気まま旅をするという新しい生活に「ハマ」り、ご家族で毎年通ったアイルランドでは、縄文文化に通じる古代ケルト文化にぞっこん、バリ島ではスピリチュアルな世界に「ハマり」ました。

 しかしその後、バブル崩壊と同時に「コケる」時代が到来。仕事も減り、夫が病気になり、やがて離婚。シングルマザーの生活が始まります。こうして「迷走」が続くのですが、安芸さんは「迷走とゆらぎが心を耕す」とおっしゃいました。お子さんを育てながら、お仕事を続ける生活は非常に大変だったと思いますが、「絵を描くことに救われた。母親が自分で自分を平和にしていける手段を持っていることは、子どもにとっては救いだったと思う」とおっしゃいました。

 安芸さんは、こうした「迷走」の人生を、「要所要所で、自分のビジョンを理解し共感してくれる人が現れてくれた」と振り返りました。現在も、変転によって耕された芸術家としての資質、海外のさまざまな文化に触れた経験を生かして、古代史に関わるお仕事をされています。ご自身が理事を務めるNPO「縄文発信の会」では日本中に縄文文化を広める活動をされ、国際学会であるWorld Archaeology Congressでは、公共教育の一部として復元イメージをどう活用するかについて研究発表もしてこられました。同時に、イギリスやバリ島では、持続可能環境教育のためのワークショップを続け、大阪の幼稚園では、クリエイティブな作業に打ちこむ時間が大切であることを現代の親子に教えたいと、子供工作教室を12年間続けておられます。

ワークショップ4_4 安芸さんは、講演の最後に、ご自身の人生を「縄文ハンター出世すごろく」というイラストでまとめられました。そのすごろくゲームには、まっすぐ進むだけでは決して得られないさまざまな「挫折」や「出会い」が描かれ、「起伏」豊かな道のりがゴールに通じる様子が描かれていました。

 質疑応答では、参加者から「早くから海外へ行くことは考えていたのか」、「家庭を持ちながらクリエイティブな仕事を続けるために心がけていたことは何か」、などの質問が出ました。そうした質問への答えとして、安芸さんは「どんな不本意な状況でも自分のビジョンを見失わないこと。逆境を受け入れながら焦らず、たとえ少しづつでも歩みを止めなければ、ゴールは必ず見える。」と強調されました。どのお言葉にも、安芸さんの「ビジョンを見据えた視線」が感じられ、それは、お茶の水女子大学の学生さんへの、最大の啓発の言葉となったと思います。



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