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ワークショップ リポート  ~ 2014年度 ~


  第二回「女性のグローバルな活躍のためのワークショップ」(2014年5月21日)報告 


~トークGlobal ~「グローバル」をとことん語ろう!
  「人生山あり海あり あなたはどんな心を作りたいですか?」

講師    福井 美穂 氏
             お茶の水女子大学グローバル協力センター特任講師
講師    渡辺 紀子 氏
             お茶の水女子大学グローバル人材育成推進センター特任講師



 今回は、2013年度に開催して好評を博した、お茶大教員が登場する「トークGlobal」第二弾。日頃おなじみの先生たちが、実は素晴らしいグローバル経験の持ち主だったと知り、身近なロールモデルの発見に感動できる、エキサイティングな企画である。






 2名の講師の一人、福井美穂さんは、本学赴任前に、国際NGOや内閣府での勤務を経験。難民キャンプ運営責任者として体験した想像を絶する苦労話で、会場を沸かせた。もう一人の講師、渡辺紀子さんは、全日空国際線の客室乗務員、アメリカの大学での日本語客員教授、そしてアメリカの大学院留学を経験という、やはり幅広い国際経験の持ち主。アメリカでは、学生の手本となり日本への理解も深めさせたいという使命感から、白人ブロンド女性もうらやむような美女になることを目指したというエピソードは、聴衆に強いインパクトを与えた。


 そんな魅力的な二人に、参加者からの質問コーナーでは、「キャリアを選択する基準は?」「お二人のヴァイタリティの源は?」「女性であることで苦労した点は?」といった、キャリアやライフ・ワーク・バランスに関する質問から、「グローバルとは何か」という根源的な質問まで、活発に飛び交った。表題の通り、グローバルを「とことん」語る有意義なひとときとなった。





 参加者の声 ~第二回ワークショップに参加して~ 

生駒 有紀  
文教育学部言語文化学科4年


 今年度第二回目のワークショップでは、主催者側お茶の水女子大学から学生に大人気の教員2名をスピーカーに迎え、変化に富んだ人生経験談のご講演に続き、「普段は学生からは訊けない」質問コーナー、そしておなじみのテーマながら語り尽くされることのない「グローバル」とは何かについてのディスカッションが行われた。

 一人目のスピーカーは海外NGOや内閣府など様々な職場を経験し、現在は本学グローバル協力センター特任講師として、緊急人道支援・ジェンダー分野の研究を続ける福井美穂先生。ご講演は、緊急人道支援の山と谷を経て研究職に就くまでの経験や、自分なりのワークライフバランスについてのお話から始まった。学生のみなさまにはロールモデルとしてではなく、あくまで七転八倒の共感をしながら聞いてほしいと、謙虚に語られた福井先生。しかしその遍歴は、驚くほどにパワフルだった。長野県長野市で育った福井先生は、子供の頃、母の実家が第二次世界大戦時に、松代大本営建設のため強制立ち退きに遭っていたことを知りショックを受ける。戦争では弱い人が損をするということを、身内の体験を通して痛感した瞬間だった。

 大学生になり難民支援に興味を持つも、国連といえども何でもできるわけではないという現実を知り、フィールドで働いていた大学院時代の同級生の紹介で、1999年から国際NGOの一員として支援の現場へ。現地のお仕事は緊急人道支援。現地代表・プログラムコーディネーターを務めるようになるまで、様々な現場を見てきた。最初の現場経験では、コソボ難民危機の際にマケドニアへ。このときはやっと現場に出られたという喜びが大きかった。二度目のフィールドでは、2000年から2001年にボスニアで帰還民支援、及びセルビア・モンテネグロで聴覚障碍者支援を行った。かねてから支援ニーズの大きい「アフリカ」に行きたいと願っていた福井さんは、「アフ」まで同じだから「アフガン」に行こう!という先輩の誘いで、アフガン干ばつの国内避難民支援も経験。その後西アフリカでシエラレオネからの帰還民支援に携わることができた際には、やっとやりたいことができたという達成感があったという。現地ではキャンプ運営事業として、難民キャンプを二つ設営していた。約六千人が暮らすバンダジュマキャンプを、森を拓いて建設するところから始まり、栄養バランスが取れた食糧を毎月配布、弱者層支援を行った。現地の人の代表部を作りアドバイスをしたり、給水・井戸・トイレ・シャワー利用にあたって衛生ワークショップを開いたりし、3、4か月後には現地の人が暮らすコミュニティのサポートに従事した。そしてフランス人や日本人の国際職員・水や土木の専門家、シエラレオネ人の現地代表80人、リベリア人の難民ボランティア20人の計100人を自分が指揮する立場になった。規模が膨大な分、一番激務でトラブル続きではあったが、一番楽しくやりがいを感じていた時でもあったという。スタッフの不正や盗みは日常茶飯事、人手不足はまだしも、ひとたび暴動が起これば自分が人質にとられ、PKOやUNHCRに来てもらう事態になることもあった。キャンプの女の子がレイプやセクハラに遭う被害も相次ぎ、トラブルシューティングに追われる日々。このようなジェンダーに基づく暴力への対応を勉強したい、政府に取り上げてもらう力を持ちたいと、政府や自衛隊、NGOなどにGBV(Gender Based Violence)の対応啓発も行ってきた。夢と現実のギャップ、いわゆる「山と谷」の谷を経験し落ち込む福井先生をさらに苦しめたのは、二か月に一回ペースでかかるマラリアだった。強い薬でなんとか持ちこたえていたものの、キャンプに命を捧げる毎日。これはおかしい、一つの団体で自分がやっていることだけでは、コントロール不可能だ、そう感じたこともきっかけの一つとなり、実務から研究の世界へ向ったという。現在、東京大学で博士号取得に向けて研究しながら、本学で講師を務める。

 凄まじい経験をされてきた福井先生。帰国し結婚・出産を経験しながら仕事も研究も続ける彼女のワークライフバランスは、どうなっているのか。本人いわく、仕事・学問・私生活の三つがあったことで、逆にバランスがとれたという。例えば、大学にいたことで娘を大学の保育園に入れることができ、パートタイムからフルタイムに復帰できた。また保育実績があれば区立の幼児施設にも受け入れられやすいなど、様々な特典も。フルタイム復職で学問のほうは一時お休み中の福井先生、私生活では「子どものインパクトがすごく、休みなんてない(笑)」。現在はいつかフィールドへ戻ることも視野へ入れつつ、日本での発信力をさらにつけたいとのこと。学生へのメッセージとしては、ライフワークバランスを模索できる職場を探すこと、セーフティネットを多種併用してゆくこと、ひとつひとつ人との縁を重宝し、職域を超えて通用する人になること、ロールモデルを多く見つけること、そして家族の支援の重要さとありがたさを感じることの大切さを語られた。

 続いてのスピーカーは、こちらも様々な遍歴の後、本学グローバル人材育成推進センター特任講師に就かれた渡辺紀子先生。現職について「本気でグローバル人材を育てたいので、本望な仕事」だと語られた。チャレンジングなことが大好きなスポーツ少女だった渡辺先生は、漫画『エースをねらえ!』に憧れてテニスをしたり、ソフトボールではサンディエゴへ試合に行ったほど。また小さなころから人が好きで、他の人の役に立ちたいという思いがあり、小学校の頃からよく友達の相談に乗っていた。早稲田大学第一文学部東洋史専修卒業後、母のかねてからの勧めで全日空の客室乗務員となる。当時帰国子女しか選ばれない風潮があった国際線担当に大抜擢されるも、その業務は目まぐるしい忙しさだった。12~13時間のフライトでは、機内食の一食目の配膳が遅れると全ての予定が遅れてくる。一見単純サービスに見えることが実はかなりの大仕事で、余裕の表情でお注ぎするHot & Coldドリンクも、揺れる機内では常に細心の注意を以て扱わねばならない。緊急事態・保安のための巡視に加え、にこやかな笑顔の裏で乗客側の知ることのない乗務員の仕事は山ほどある。乗客の就寝時間中にも税関のため酒類等の詳細な数までカウントするなど、休む暇はないのだ。このような激務の中ですべてのサービスをタイムリーに行うには、適材・適所の機内マネジメントが鍵となってくる。どの乗員をどこに配置するかで、業務が驚くほどスムーズにいったり、逆に滞ってしまったりする。どうしたら一人一人のいいところを引き出せるのかを常に考えていたこの頃の経験は、現在に続く渡辺先生のキャリアで大きく活きている。

 バリバリのキャリアウーマンだった渡辺先生は、敷かれたレールの上を歩いて来た人生を振り返り、「本当は何をやりたかったのだろう」と問うようになる。もう一度大学で勉強したい、そう思い院試を受け続けるもあえなく落第、意を決して日本語教師の資格を取ると、退職金とともにミズーリ州に渡米。ウィリアムウッズ大学日本語客員教授となった。教師として教える傍ら大学の授業を聴講する中で、だんだんと自信がつき、エンポリア州立大学院産業心理学部に合格。企業で健康的な社員をつくりたいという思いからの選択だった。それからは、アカデミックな世界に入り地獄のセミナーの日々。自分以外は、学部時代に心理学をきちんと学んできた学生たち。インターナショナル(外国出身生)が他に二人いてほっとしたのもつかの間、実は両方とも英語のネイティブだった。数多い学部の必修科目をとりながら夜はセミナーを受ける過酷な日程に、ネイティブの学生さえもどんどんリタイアしていく中で、「この一週間をどうやって生きるか」だけを考え必死に努力した。今振り返ってみれば、学会の楽しさ、論文執筆の苦しさと楽しさ、苦労の後の充実を感じられた日々でもあったという。結果として、そのセミナーから、渡辺先生だけがアメリカ心理学会へ論文を発表することができたのだ。「何だって、がんばればできる!」そう確信を持てた。その後米国現地留学機関で働き、各地を転々とした。田舎も都会も味わい、車や家の購入・リフォームまでこなし、やり残したことは訴訟ぐらいというほど様々な経験をしてきた。現地での仕事は150人余りの留学生の学業・キャリア指導。優秀な金の卵を日本へ送り返す仕事をすることで、日本に直接貢献できていないことへの後ろめたさを軽減していました、と苦笑交じりの渡辺先生。なんと、「ロールモデル」の名にふさわしく、学生のお手本となるために、また現地学生の日本人留学生への理解を促すためにも、「町で一番Coolになり、白人ブロンドにもうらやましがられる女性になる」ことを目標にしていたという。

 帰国後は早稲田大学国際・アドミッションズオフィスに勤務し、とにかくいろいろな国へ行った。インド、ベトナム、サウジアラビアなどを回り、高等学校や大学で熱い思いを語ってきた。学生のために働きたいという人材育成、能力開発への思いからCDA(キャリア・ディベロプメント・アドバイザー)資格も取得され、現在は主にお茶の水女子大学の長期派遣留学生を支えて下さっている。今の課題は、学生と一緒にがんばっていくためにもプライベートも充実させ、さらに中身を磨いてゆくこと、と語る渡辺先生は、偶然を必然に持ってゆくフレキシビリティを大切にしているという。人の夢を叶えてゆくこと、それは幼少時から変わらぬ渡辺先生の夢であり続けている。

 学生の立場でワークショップに参加し、憧れの先生方が経験してきたことを知って、驚愕する一方で、やはり素晴らしい人たちだったのだなと改めて尊敬の念を抱いた。普段親しみやすい態度で接してくださり、学生側も冗談を言って笑い合うような仲になってくださる、すがすがしい謙虚さを持った先生方。身近にこのような大先輩たちがいらっしゃることにとても励まされ、今回の講演を聞いて、自分のこれからの可能性への視野も大きく広がった。福井先生、渡辺先生、今後も学生たちが大きく羽ばたくために、ぜひよろしくお願い致します!



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 TEL:03-5978-2734・2736
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