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ワークショップ リポート  ~ 2014年度 ~


  第一回「女性のグローバルな活躍のためのワークショップ」(2014年4月23日)報告 


 「好奇心こそ原動力!」

講師    根本 かおる 氏
国連広報センター所長


 国連の仕事に興味津々の参加者が詰めかけた、2014年度初回ワークショップ。まずは、アナウンサーから報道記者へ、そして留学、インターン経験を経て国連機関へ、と、常に自分らしく生きられる人生を求めて向上を続けた根本さんの半生が語られて、大いに盛り上がる。国連機関に入ってまず対応した難民問題では、「サバイバルのプロ」である難民たちから学ぶものも多かった、という根本さん。常に学びの気持ちを忘れない心が、人生のステップアップにつながっていくのだろう。




 

 続いて、国連事務総長の休む間もない一日を紹介したDVD上映や、国連イベントのお話など、貴重な国連情報が盛りだくさんに提供される。そして、世界で虐げられている女性たちの現状紹介と問題提起を経て、「女性が働きやすい職場」国連でのキャリアを目指す人たちのために、キャリア・セミナーやインターンシップ制度などのチャンスが開けていることが語られた。


 参加者たちの世界へ羽ばたいていこうとする心は、いやがうえにも盛り上げられたに違いない。





 参加者の声 ~第一回ワークショップに参加して~ 

コルムシ・オリガ  
大学院人間文化創生科学研究科 ジェンダー社会科学専攻 研究生


 私は今年第1回の「女性のグローバルの活動のためのワークショップ」に参加しました。講師の根本先生がご自身のキャリアを具体的に教えてくださいました。大学を卒業しても、女性だからと様々な仕事で雇ってもらえない時代に就職活動をし、長い留学を経験。のちに国連で働きます。根本先生は国連が多くの人にとって魅力的な職場であると語っていました。15年勤めると、その魅力的な仕事を辞め、日本でフリージャーナリストをはじめます。紆余曲折を経、ふたたび国連にもどり、現在にいたります。いまの仕事こそ天職であるようにみえました。たしかに、自分が本当にやりたいことを見つけるのは、非常に難しいことに違いありません。しかし、いくら難しくとも、諦めてはいけないと、根本先生の話を聞いて改めて考えさせられました。一つの会社に長く勤めるという考えをいまだに保持する日本の若者にとって、ロールモデルになれるのではないかと思います。

 根本先生が国際機関で働きたいと初めて思ったのは、アメリカの大学院で勉強していた頃です。若者は一度日本を出たほうが良いという意見を、最近よく耳にします。外国で暮らしてみてグローバルな視点を養えば、日本のことをもっと理解できるといわれています。じつは私も母国を離れてみて、世界の事情についても色々な面に目を向けることができましたし、逆に自分自身について顧みる機会も得ることができました。

 私はソ連が崩壊する前の年、1990年にウクライナで生まれました。私が子どもだった頃は、ウクライナ人にとって苦難の時代でした。お金があっても、品物がほとんど売っていませんでした。牛乳を買うために朝5時に出発して2時間くらい行列に並んで待つような時代でした。ある時、町のおもちゃ屋さんで午後2時になったらお人形を買えるという噂を聞きつけ、母が早朝から(あるいは前の晩だったかもしれませんが)並んだということがありました。知り合いと交代しながら待ちました。割り込み防止のため行列の順番はリストに記録されたとも聞きます。待ちに待ってちょうど母の番がきたとき、お人形が売りきれてしまいました。そのとき代わりに玩具のミキサー車を買い与えてくれたことはよく覚えています。ミキサー車はいまでも家にあるので、母とたまに笑いながらソ連時代のこと思い出していますが、当時はまったく笑えない出来事でした。

 高校生になってから、何度かヨーロッパ諸国を旅行する機会に恵まれました。自分がなぜウクライナに生まれたのか、もう少し豊かな場所で生まれればよかったのにと考えました。しかし、初めて日本に一年間留学した経験は、その考えを見直すいい機会となりました。社会問題や福祉に関する授業を取って、世界中にいまだ残る不平等、差別、暴力の問題などを学びました。自分が平和な国で生まれて、食べ物や住める場所があって、教育もしっかり受けられて、しかも外国に留学できるようになったことは、それまで私にとって当たり前でしたが、世界中の多くの子どもたちにとっては、当たり前なことではありません。ウクライナで生まれたことは、相対的に見れば恵まれていたのだと感じました。

 たしかに、外国で住んでみるからこそ、自分の国のことを知ることができるのは事実かもしれません。しかし様々なことを理解できるようになるために、必ずしも母国を出なければならないことはないと思います。ウクライナに生まれて恵まれていたと思っていた私は留学後、ウクライナに戻り、23歳になった夏、大学の日本語教員になりました。勤め始めて3ヶ月が経ったとき、ウクライナでデモが始まり危機的状況になってしまいました。その災禍のなかにいた私は、ウクライナ人として、また講師として、名状しがたい気持ちで胸がいっぱいでした。私は、世界中でヒューマニズムがだんだんと進んでいくと信じていました。ところが私が恵まれていると考えていた、平和だったあのウクライナで、ヒューマニズムを踏みにじるかのような暴力がはびこりました。ふたたび、自分がウクライナ人として生まれたことや、これから私にできることを考え直させられました。日本語教員の仕事を辞め、今一度日本へ留学して、社会学の勉強を始めることを決めました。

 根本先生は、国連が制作したビデオを見せてくれました。若年結婚、女子死亡、教育不足などの問題に関するものでした。日本で生まれて、そのような問題があるとはまるで知らない若者も少なくはないと思います。根本先生が「国連にはチェンジメーカーが必要」と何回か言いました。チェンジメーカーになるために実際に戦争を経験するまでもありません。世界中の問題をニュースや書籍を通じて学び、自分には何ができるかと考えることが、チェンジメーカーになるための第一歩だと思っています。

 今回のWSは、参加した人全員にとって何かを考えるきっかけになったと思います。私自身、今までの経験を振り返って、何のために現在日本に来ているかを改めて考えさせられました。私にできることがあるはずと深く感じて、これからも頑張ろうと決意を固めました。



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