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平成26年度「第2回 湯浅年子賞」授賞式

2016年3月28日更新

湯浅年子賞設立趣旨はこちらから

1978年頃の湯浅博士の写真
昭和53(1978)年頃の湯浅博士
資料提供:
本学ジェンダー研究センター



 

日時

平成26(2014)年12月24日(水曜日) 14時から

場所

理学部3号館 2階会議室(207室、208室、209室)

プログラム

  1. 賞状授与
  2. 挨拶
    羽入 佐和子 (お茶の水女子大学長)
    幅 淳二(Director, Toshiko Yuasa Lab.)
  3. 選考結果報告
  4. 受賞セレモニー
    受賞者講演
  • 坂東 昌子「対称性の自発的破れに隠れた局所対称性の研究ならびに女性研究者と若手研究者の支援活動」
  • 関口 仁子「原子核物理学における3体核力に関する実験的研究」

1. 賞状授与

司会(菅本 晶夫、「第2回 湯浅年子賞」選考委員会委員長、お茶の水女子大学理学部長):
ただいまより第二回湯浅年子賞授賞式を始めたいと思います。
最初に本学の羽入学長より、賞状とメダルの授与をいたします。
最初は、坂東 昌子 氏です。よろしくお願いいたします。

【金賞:坂東 昌子 氏】
表彰状
坂東 昌子 殿
お茶の水女子大学賞
業績「対称性の自発的破れに隠れた局所対称性の研究ならびに女性研究者と若手研究者の支援活動」
あなたの表記の自然科学の諸分野における業績は著しく顕著であり、国内あるいは国外において既に高い評価を確立していると認め、ここに、第2回湯浅年子賞金賞を送ります。

平成26(2014)年12月24日
お茶の水女子大学長 羽入佐和子

幅 淳二 氏(Director, Toshiko Yuasa Lab.)より、副賞(メダル)授与

【銀賞:関口 仁子 氏】
表彰状
関口 仁子 殿
お茶の水女子大学賞
業績「原子核物理学における3体核力に関する実験的研究」
あなたの表記の自然科学の諸分野における業績は特に顕著であり、近い将来当該分野において国際的に活躍する女性になると認め、ここに、第2回湯浅年子賞銀賞を送ります。

平成26(2014)年12月24日
お茶の水女子大学長 羽入佐和子

幅 淳二 氏(Director, Toshiko Yuasa Lab.)より、副賞(メダル)授与

2. 挨拶

司会:ありがとうございました。
では引き続きまして学長挨拶、よろしくお願いいたします。

学長挨拶 羽入 佐和子(お茶の水女子大学長)

このたびは、坂東先生、関口先生、おめでとうございます。この授与式においでいただきまして、誠にありがとうございます。
また、審査にあたられた先生方にもおいでいただきまして、本当にありがとうございます。
それからこの賞は、フランスと大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)の「湯浅年子ラボラトリー(TYL)」が発案してくださいまして、私どもの大学とご一緒に、制度を作りました。平成26(2014)年で2年目でございます。
まだ4名の方にのみでございますけれども、お茶の水女子大学がこれまで培ってきました女性研究者の、そして特に理系の女性研究者の育成の実績を何らかの形で明らかにしたいということもあり、このような賞を設けました。
恐らく平成27(2015)年には、「黒田チカ賞」というのもできるのではないかということで、準備をしております。
坂東先生には、私は、女性研究者の活躍のために大変に努力をしていらっしゃることを、何年か前にお目にかかったときに色々と教えていただきまして、今日、このような形でおいでいただきますことを大変嬉しく思っております。
また関口先生は、東北大学でご活躍でいらっしゃって、東北大学は「サイエンス・エンジェル(S.A.)」で、様々な形で表彰を受けているところで、いずれにしましても、女性研究者、特に理工系の女性研究者の育成に大変な努力をしていらっしゃるお二方でいらっしゃいます。
そのようなお二方をお茶の水女子大学として表彰できますことを、大変嬉しく、誇りに思っております。
坂東先生、そして関口先生、これからそれぞれの活躍をさらに拡大して、そして、日本の女性の科学者のために、また日本の女性の活躍のために、と同時に、科学の適正な進歩のために、ご活躍していただきたいというふうに、心から願っております。
本日は誠におめでとうございます。

司会:続きまして、Toshiko Yuasa Lab.のディレクターであられます、幅 淳二 先生によろしくお願いいたします。

幅 淳二 氏(Director, Toshiko Yuasa Lab.)挨拶

Toshiko Yuasa Laboratory、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の幅と申します。よろしくお願いいたします。
坂東さん、関口さん、今日はおめでとうございます。
平成25(2013)年から、この授賞のご挨拶をさせていただいていますが、Toshiko Yuasa Lab.は何だという話をしないで、後で疑問符が残ってはいけませんので、ちょっとだけ改めてご説明いたします。
平成17(2005)年になると思いますけれども、KEKの戸塚洋二・前機構長とフランスのIN2P3(原子核素粒子研究所)の所長さんとの会談の中で、今後共同研究をさらに推進するなら、仮想共同研究所(Virtual Laboratory)みたいなものを作って、それをバックアップしたらどうかというアイディアが出たそうです。
フランスには、元々LIA(国際連携研究所)というシステムがあるわけですけれども、それを使って、高エネ研とCNRSとCEA(フランス原子力庁)の3つの研究機関が、合同で仮想研究所を作りました。現在ですと私が日本側のディレクターで、フランス側からCNRSからのディレクターとCEAからの副ディレクターの3人いて、後は、双方から共同研究のメンバーが連携研究者という形で名前を連ねている、そういう形の仮想研究所です。
そうして運用を始めまして、いろいろな共同研究をサポートしてきたわけですけれども、平成21(2009)年になりまして、菅本先生、それから当時のフランス側の代表者のDenis Perret-Gallixといった人たちが、CNRSというのは実は元々日本と関係が深くて、しかも湯浅年子という偉い博士がいて、架け橋になっておられたという話をもってこられて、ぜひその名前をいただいて、もっと親しみのある研究所にしてはどうかということになりました。それで、「Toshiko Yuasa Laboratory(TYL)」という名前を平成21(2009)年にいただいて、以降そう名乗らせていただいております。
「名前をいただいたからには何かしろよ」ということを菅本先生からキツく言われまして(笑)。「何をいたしたら一番お役に立てるのでしょうか」ということで、いろいろとご相談をしてまいりまして、一つは理系志望の女子高校生を30人ぐらい、春、3月末から4月にKEKに招いて、そこでいろんな女性研究者、あるいはその卵である大学院生の方々と話をしてもらって、研究職を目指したり、それ以前に理系の方に進むことにためらっていた女子高校生の背中を押すという、そんなスクール(理系女子キャンプ)を始めました。
それともう一つは、平成20(2008)年、KEKがお茶の水女子大学とMOU.(了解覚書、Memorandum of Understanding)を結ばせていただいて始めた、この「湯浅年子賞」へのご協力ということで、そこでメダルを副賞として提供するという崇高な使命をこの2年果たしております。
先ほども言いましたように、平成20(2008)年は金賞授賞2名ということで、金メダルをお渡しするだけで良かったのですが、実は当初の菅本さんとのお約束で、銀賞の若手の研究者の方には、フランスに渡っていただき、―「渡って」といっても何年もではなくわずかに一週間なんですけれども―、あちらの研究所でいろいろと講演をして研究成果の発表することをTYLが全面的にサポートすることになっておりました。そして平成26(2014)年度、関口さんが銀賞の受賞をされ、いよいよ3月に渡仏、オルセー、サクレー、ガニールの3研究所を回って講演をしていただくこととなり、その手配とサポートをTYLの日仏関係者がさせていただいております。そんなことで、少しずつではありますけれども、高エネ研も女性研究者の活躍のお手伝いをできるよう頑張ってまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
今日はどうもありがとうございました。

3. 選考結果報告

司会:幅先生、ありがとうございました。
どうもありがとうございました。それでは引き続きまして、選考結果報告をしたいと思います。
 

選考結果報告 菅本 晶夫(「第2回 湯浅年子賞」選考委員会委員長)
「湯浅年子賞」と申しますのは、ご紹介がありましたように、高エネルギー加速器研究機構(KEK)が日仏共同事業として運営する「湯浅年子ラボラトリー(TYL)」の協力を得て、お茶の水女子大学が、湯浅年子博士の自然科学及びその関連分野に対する功績を記念して設けたものでございます。
平成26(2014)年が第2回でございます。平成26(2014)年度は5月20日から平成26(2014)年7月30日まで募集を行いました。推薦による受け付けということでございまして、7名の候補者の推薦を受け付けました。
9月24日に選考委員会を開催いたしまして、受賞者2名を決定したわけでございます。
湯浅年子賞には「金賞」と「銀賞」がございまして、「金賞」と申しますのは、「自然科学の諸分野における業績が著しく顕著であり、国内あるいは国外において、既に高い評価が確立している女性を顕彰する」ということでございます。「銀賞」は「自然科学の諸分野における業績が特に顕著であり、近い将来当該分野において、国際的に活躍する女性になると認められる者を顕彰する」ということでございます。受賞対象者といたしましては、「自然科学の諸分野において顕著な研究業績を挙げた者とする。また、自然科学の社会的普及活動あるいは同分野の女性研究者を増大させる活動において、顕著な業績を挙げた者も受賞対象者とする」としております。「日本国籍を有する者または日本において高等教育を受けた者」とし、対象は女性でございます。
今回の選考委員は、学内からは理学部の各学科長でございます、横川光司(数学)、浜谷望(物理学)、森義仁(科学)、松浦悦子(生物学)、吉田裕亮(情報科学)でございます。加えまして、Toshiko Yuasa Lab.から推薦された2名の先生、徳宿克夫先生(KEK 素粒子原子核研究所副所長)、村上洋一先生(KEK 物質構造科学研究所副所長 構造物性研究センター長)でございます。加えまして、理学部長が推薦する報道関係者といたしまして辻篤子さん(朝日新聞 オピニオン編集部記者)にお願いいたしました。加えまして、学長が推薦する者といたしまして、舘 かおる先生(お茶の水女子大学名誉教授)、それから桑折範彦先生(徳島大学名誉教授)でございます。桑折先生は、湯浅年子の最後のお弟子さんでございます。以上の選考委員で、私が選考委員長を務めて、審査をした次第でございます。
選考結果は、すでにWebにもUPしてございますけれども、もう一度お話いたします。【金賞】坂東昌子 氏(愛知大学 名誉教授)

業績:「対称性の自発的破れに隠れた局所対称性の研究ならびに女性研究者と若手研究者の支援活動」
坂東氏は、ρ(ロー)中間子等の性質について、対称性の自発的破れの背景に局所対称性が隠れていることを用いて説明するという、著しく顕著な業績をあげ、氏のこの分野の研究における国内外での高い評価は揺るぎないものとなっている。
更に昭和35(1960)年代から今日に至るまでの50年間、女性研究者及び若手研究者の支援活動を極めて精力的に続けたことは、女性研究者支援におけるパイオニアとしての氏の歴史的存在意義の大きさを示すものである。
特に平成14(2002)年のWomen in Physicsパリ会議を契機に、日本物理学会男女共同参画委員会及び男女共同参画学協会連絡会議を設立し、国に対して積極的に女性研究者支援を働き掛け、第3期科学技術基本計画等に女性の活躍促進が盛り込まれたことは、女性研究者の増加に繋がる著しく顕著な活動実績であると高く評価し得る。
以上が選考理由でございます。

【銀賞】関口仁子 氏(東北大学大学院理学研究科 准教授)

業績「原子核物理学における3体核力に関する実験的研究」
湯浅年子博士は、かつて核子が3つ集まって相互作用する「3体核力」を、少数核子の散乱を用いて実験的に見出そうと試みたが、当時の技術では不可能であった。
関口氏は、中間エネルギー領域(140MeVから270MeV)において、理研や阪大にある最新の実験装置を用いて、偏極した重陽子と陽子の弾性散乱実験を行い、微分断面積と偏極量を極めて高い精度で系統的に測定した。
その結果と厳密な理論計算との比較から、これまで明らかでなかった3体核力の顕著な寄与を示すことに世界で初めて成功した。この成果は、3体核力の理論的取り扱い、中性子過剰核及び中性子星等の高密度核物質の状態方程式の研究に大きなインパクトを与えた。
このように、氏の研究業績は著しく顕著であり、将来原子核実験分野において国際的に活躍する期待を抱かせるものである。
以上が、選考結果でございました。
どうもありがとうございました。

4. 受賞セレモニー

司会:では引き続きまして受賞者の講演にまいりたいと思います。
まず最初は坂東昌子先生。「対称性の自発的破れに隠れた局所対称性の研究ならびに女性研究者と若手研究者の支援活動」でございます。よろしくお願いいたします。

坂東 昌子 氏(愛知大学 名誉教授)講演

どうも本日はありがとうございます。
こういうものをいただくのは苦手なので、もうひとつ調子が出ないのですけれども。賞をいただけるのは、それなりに見識があり、しかも時間を割いて推薦文を書いたりして努力をされた方が偉かったからだと思って、私が偉いのではないと思っています。
今日は、私の今日までの中でいくつかお話したいことを起承転結という順に話そうかなと思っております。
最近私、実は3.11以降低線量での放射線の影響の生物モデルを作ったのですけれど、生物の人と付き合ってみて物理はやはり特殊だということをすごく感じるようになりました。もちろん、ずっと物理はおもしろいと思っていましたけれど、それだけではない、と思うようになりました。物理屋は統一的に理解する、あるいは数量的にきちんと表さないと気がすまないという性格があります。一方、生物の人って数量で表さないのですよね。むしろ多様性を重んじてそこに面白さを感じているっていう性格ですね。ですので、式を書くだけで嫌がるので、どう説明したらわかってもらえるのかまだよくわかっていません。しかし、そういうこともあって、やはり基本的な数学の知識というのは、どの分野も若い頃にやっておいてくれると助かるし、理解がお互いにできるんだけどな、とものすごくこの頃感じるようになりました。それともう一つ、生物屋さんとものすごく違うなぁと思ったのは、モデルという概念で、私たちはどういうメカニズムが働いてどういう結果が出るかということを考察するためにモデルを作りますが、一般には、どうも実験して出てきたデータに合うような線を引くと、それがモデルという感じですよね。私たちから見れば、単にフィットする直線なり曲線を出しただけじゃないの、と思ってしまいます。そういう違いをすごく感じるようになって、モデル、モデリングができるというのは実は物理屋の特徴ではないかなとこの頃思うようになってきました。ですから物理屋の特徴、統一的理解と数量的予測、こういう訓練ができたというのは、実は幸せというか、これからも必要なスキルを身に着けたという意味で、必要なことだったのではというようなことを大いに感じております。
私、今日はあまりお話できませんが、ちょうどD1の時に結婚して、D2の時に長女が生まれたのです。その時京大の中に保育所を作る運動というのをやりました。やるときはまず実力行使で、自ら自主的に保育所を始め、私の家を保育所にしてですね、困っている共働き夫婦が集まって共同保育を始めました。10何人集まったと思います。狭い家ですので、私たちの家全体を使ってもらいました。お昼は、私等の居る場がなかったくらいです。保育所をみんなの手で作って、そしてそのネットワークをフルに生かして、京都大学に保育所を作って欲しいという運動をしたわけです。壁にいっぱい落書きもしたので、私も一緒にいたずらしようとしていたら子どもに怒られましたけれども(笑)。それで1年後には京大に保育所ができた。このときですね、京大の中では初めは、「人に育ててもらうというのは厚かましい」とかですね、あるいは「冷たいお母さんやなぁ」とか、まぁいろんなことを言われました。こういう周囲の批判にめげなかったのは、研究者というものの強みです。大学院の女性研究者の中には、発達心理をやっている人もいて、集団保育の研究をしていました。そして、みんなで集まって保育の勉強をしました。「決して冷たいお母さんではないのだ、良い保育所を作ることが大事なのだ」ということを勉強しながら仲間と一緒に育つ子どもたちを創っていこうという確信を得ました。大学の中にもだんだん賛成してくれる人が出てきました。特にうれしかったのは、発達心理学ご専門の、教育学の教授だった鯵坂先生が応援してくださったことでした。そして、こうしてたった1年の運動で、大学に保育所ができたということです。尤も、1年で大学には保育所ができたけれど、実は京大外の方々も一緒に運動していたので、地域に保育所ができるまで、あと1年だけ私の家で共同保育を続けました。そして、地域にも保育所ができたので、解散したのです。大学でこんなに早く保育所ができたのは、教育学部の発達心理学専攻の方々の力添えがあったからです。そして、その時は大学の乳幼児監視施設という名前だったと思いますけれども。それで教育学部の先生が非常に援助してくださって、2人指導員というかそういうふうな名目で、人を配置してくださいました。
そんなわけで、自宅を開放することで、私はとても貴重な経験をしました。そして、その思いは、今もなお人生の最後になって同じように自宅を開放してNPOの事務所という形で締めくくっているのかな、と思っています。今はですね、京大のすぐ近くにある事務所には、こういう若者たちがよく来てくれます。そして、大学生、大学院生が集まって、親子理科実験教室を京都大学理学部と共催で開いているのですが、そのTAをやってくれたり、自らも実験の企画をして、講師役を引き受けてくれています。尤も若い人たちが企画する実験教室の準備は、まあ、若者たちの教育の場でもあり、みんなで毎週集まって相談を何度もやって実施しています。ポスドクの支援活動をしたり、サロンを開いたり、いろいろと活用しています。今では、ここにホワイトハウスという名前をつけてくれたので、ホワイトハウスと呼んでおりますが、これが「NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん」の本部でございます。
さて、ここらあたりで、私の学問歴をお話ししたいと思います。私は湯川研に入りました。湯川先生のノーベル賞は、終戦後の疲弊した日本にはビッグニュースで、日本人に夢を与えたのです。当時の原子核・素粒子論は、いまだ新しい学問分野でした。いつもそうですが、新しいことを始めるときには皆、対等、平等になります。先輩も後輩も一緒になってみんな対等平等の立場から議論することが大切になります。そしてまた、世界中ともつながっていました。必然的に、民主的で、しかも国際的であるという気風がみなぎっていました。大学の枠を越えた、その当時講座の枠を越えて先生たちは新しい量子力学や相対論を勉強されたわけですね。そういう意味でインターディシプリン (interdiscipline)な雰囲気があったと思います。たぶん新しい学問はみんなそうだと思うのですが、やはり何というか、志を同じくする者は皆平等であるという思想に貫かれていたという気がします。湯川先生は、そういう意味で国を越えて分野を越えて、単に素粒子論だけではなくて、分野を越えて国際的な視野をもって多くの分野を切り拓いて来られたのだと思います。そういう中で湯川研に入ったのですが、実際に指導してくださったのは、位田さんと野上さんでした。湯川先生に指導していただいたことは一度もありません。こんなこと言うたらいかんけども(笑)。それでですね、湯川研は、湯川先生がノンローカル(nonlocal非局所場の理論)をやっておられましたし、場の理論の今の矛盾を乗り越えるという、そういう方向を目指す人が多かったのです。でも、このおふたりはそんなのだけではあかんと。新しい実験が出て、新しい粒子が出てきている世の中なのだから、現象論をやらなければいけないと。こう言われました。この人たちついて一番最初たぶん、その頃新しく発見されたロー中間子やK*中間子を説明するため、ファインマングラフの計算をしていました。昔は、素粒子といえば、陽子・中性子・そして電子とニュートリノ、それに光子しかありませんでした。ところが、最初は宇宙線から新しくパイ中間子やミュー粒子が見つかり、また、ストレンジネスを持ったΛ粒子やΣ粒子が見つかっていました。それに昭和25(1950)年後半になると、加速器が動き出して、もうどんどんどんどん増えてきまして、当時200種を超えていたと思います。私が大学生の時代には、湯川先生が、時々大学で講演なさるので、聞きにいくわけですが、「こんなにたくさん素粒子が見つかったら、もう素粒子と言えんなぁ」と言って腕組みしておられたのを覚えています。そういう意味ではこの昭和35(1960)年代CERN、BNL、DUBNA、加速器は動いてですね、たくさんの粒子が発見されたことで、「素粒子」というものの概念が変わりつつあった時代でした。そんなわけで、素粒子というのはあまりものを覚えたくないからすっきりしていていいな、というような人も多かったと思いますが、そういう中でいっぱい出てきてみんなびっくりしていた時代です。位田さんがその粒子の質量やスピンを表にしたものを壁に貼って毎日それを眺めて「これは一体どういうふうに統一的に理解できるのか」と眺めていました。やはり統一的に理解したいというのが目標だったのですね。そういうことで統一的理解というのが、それが「素粒子の模型」の重要な第一歩だったのです。私がM2の時だったと思いますけれども、私は湯川研でどういうきっかけで行ったのか分かりませんけれども、坂田昌一先生の主査する研究会に1人でのこのこ出かけました。確か、豊田講堂ができたところで、その新しい建物の中で研究会が行われたのを覚えています。その時、ちょうど、それまでβ崩壊で出てくるニュートリノに加えてもう1つ、種類の違うニュートリノが発見されて伝わってきたところでした。その2つ目のニュートリノこそ、今のニュートリノ混合の話につながる現場でした。実はこの話は、京都に帰ってきたら、田中正さんが、ものすごく興味を持っておられて、すぐに質問されました。ニュートリノがどうも2つあるらしいというので同時に2か所で大騒ぎしたところでした。後で述べますが、坂田モデルの後のすごい構想が出ていたのでした。当時、名古屋の素粒子の統一理論の豊かな発想が、名古屋から京都に移ってこられた田中さんにもあったわけです。この2つの異なる場所から、ニュートリノ混合の話が同時に出たのも偶然ではありませんでした。
それはさておき、その研究会では、京都大学から参加したのは私だけでした。その時、夜のご飯を一緒に食べに行ったのですが、その席で、えらく、湯川研の悪口を皆さんが言われるのですね。実は、京都では、現象論をやっている勢力は小さかったのです。京都は湯川先生の影響もアッタンかもしれませんが、結構原理的なことを追究している人が多かったのです。「そんな中に染まったらいかん」みたいな助言をされた思い出があります。どうしてかというと、その当時、強い相互作用、弱い相互作用を理解するというのを、場の理論から理解しようとすると、極めて困難な事態に落ち込んだからです。今でこそゲージ理論で統一して理解できるとわかっていますが、その当時は発散の困難があり、どうしても場の理論に載らなかったのです。そのうえ、強い相互作用なんか、結合常数が大きいので、摂動論的なアプローチもできない、全くお手上げの状態で、「繰り込み可能でない相互作用をどうするのか」「どうやって取り扱っていいか」全く分からない状態だったのです。こうなると、場の理論を使ってミクロなプロセスを追うのをあきらめて、グローバルに外から、つまり散乱させたときにどういう振る舞いをするかを観察して、外から見て中がどうなっているかを推し量り、そこから統一的理解を進めるしかないという意見が多数を占めていたのでした。まぁこういうことで、場の理論に対する不信感といいますか、そういうのがあった時代でした。
湯川先生は目標を遠くにとり過ぎている、むしろ坂田先生は「少し先目標を立てて戦略的に研究を進めている」そう感じました。それで、位田さんの教えに従い、一生懸命現象論をやっていたわけです。素粒子の分類の方は、レプトンとかハドロンとかの表を見て、質量はどう決まっているのか、どういう分類ができるのだろうか、とかそういうことを考えていたと思います。一方、坂田モデルでは、それを新しい自由度「ストレンジネス」を導入して、このたくさんあるハドロンをウルハドロンの複合系として理解し統一したのです。つまり、自由度を実体化したわけですね。
当時は、その次を考えていたのです。それが、名古屋モデル。名古屋モデルというのを知っている人はあまりおられないと思いますけれども、これは、今度は、レプトンとハドロンの関係を理解しようというものでした。陽子と中性子に対して、同じようにエレクトロンとエレクトロンニュートリノがあるとすると、こちらにはクォークでいうとアップ、ダウンですが、非常によく似ている。この構造は、2つのレプトンのカップルが、バリオンのカップル、PとNとパラレルで、違うのは、バリオンが強い相互作用をしていることだというわけです。ですので、レプトンのカップルが、B物質というのを付与されると、強い相互作用するカップルができるというものです。
さらに、武谷三男はその話を進めて、2つのカップルの片方、例えばニュートリノに神様が電気(マイナスですが)を付与したら、電子が生まれる、Pに電気を与えるとNになる、と解釈しようと提案しました。ときに、これはサンパウロモデルともいいますが、武谷先生がブラジルにおられたときに発想されたものです。そうすると、ストーリーとしては、まずニュートリノが世の中にある、そこに電荷をほぅっと神さんが加えるとこれがエレクトロンになる。エレクトロンはそういうふうにしてできた。さて、その後がおもしろくて、その後B物質というのをくっつけるとこのハドロンになるのだと。B物質のBというのはなんやと思っていたら、ビールのことなのですよ。要するにアルコールを飲んだら強くなるという、そういうようなことが論文に書いてあって、論文を読んだとき笑ってしまいました。モデルとしてはなんかすごくおもしろくて、初めにニュートリノがあってチャージをもって、そしてそれにB物質、ビールを飲んだら強くなって強い相互作用をすると。なんかそういうような世界を描いていると、ニュートリノ混合のアイデアも生まれるのですね。これも、統一ピクチャは目指していたのだけれども、まあ、当時は、場の理論は使えないので、書くのが後ろめたいといった感じでした。例えば、ウルバリオン、今で言うクォークですけれども、クォークの間の相互作用を考えるのにラグラジアンから書くときはちょっと後ろめたさを感じながら、「まぁ本当は、こういうふうに書けないかもしれないけれど書いてみます」みたいな、言い訳をして書いていた、そんな時代でした。そういう意味では力というものに対して、特に強い相互作用、弱い相互作用、本当に闇の中という感じだったと思います。
この意味で、日本は場の理論の発展に対しては、かなり遅れをとったように思います。もちろん、世界的にも、圧倒的多数は、場の理論は使えないとあきらめていた時代です。しかし、こちらの素粒子の多様性といいますか、フレーバー対称性の方は、日本はかなりおもしろいことがいっぱいありましたので、そのフレーバー物理学の方では、沢山新しいことを出していた時代ではなかったでしょうか。そして、それらのフレーバーにまつわる多様性を理解するのに、実体を持ち込んだ坂田流の方法論は大きな成果を生んだと思います。しかし、このとき、多様な素粒子を分類するための数学的手段である群論に関しては、遅れをとったというべきでしょう。これらを統一的に理解するのに、SU(3)になるとかSU(2)になるとか、そういうことでまとめていくと理解が深まるばかりでなく、予言能力も格段に強くなるということはあったわけですね。
この当時のことで思い出すことがあります。研究会で、ハドロン散乱を、S行列理論に、群論を駆使して、フレーバーの異なる散乱行列との関係を群論的に統一して記述するきれいな理論がありました。そこにおられる九後さん、それから東大の江口、福来なんていうのも皆現象論をやっていた時代でした。
その当時で覚えていることがあります。研究会で集まったときに、ですね、「ついでにスピンは何とか群論でうまく入れて、統一的に普遍な振幅というのは書けないものか」「たしかに、まだスピンいうのはなかなかうまいこといってない、スピンをまとめて書くことはできないかというようなことで、意気投合し、その日の研究会が終わった後で、九後さんと山脇さんと江口さんが、私のうちに来てですね、一晩中、検討して、とうとう朝まで徹夜をしてしまったことがありました。残念ながら、成功しなかったですけども。その時九後さんと山脇さんと私はぎゃあぎゃあわぁわぁ3人でしゃべっていたら、江口さんはこっちの方にいて、「うるさいなぁ、もうちょっと静かにしてくれよ」というような感じで、スタイルの違いを痛感したこともありました。結局できなくてあきらめてしまったのですけれども、その後で学会で江口さんに会って、「あれはやはり無理かなぁ」と言ったら、「そんなんではだめだ。もうちょっと考えんとあかんねん。考えが足りんじゃ」と言われてしまいました。これは、今から考えると、結局最終的には超対称性の形式が必要になったのですね。やはりそこら辺まで行かなければいけなかったんやなぁという、やっぱり群論の数学的基礎が足りなかったんだなあと今になって思います。そんな思い出があります。とにかく、そういうことに力を尽くしていた時代です。その後、九後さんも、江口さんも、場の理論の基礎的な方向へとシフトしていくわけですね。
でも、私は、まだ現象論にこだわっていました。この時ですね、福来さんに「ブレムスシュトラールング(制動輻射)を知ってるか」と言われたのです。何を言いたかったか分かります?このブレムスシュトラールングは、チャージド粒子が走ってきてこう曲がりますよね、曲がっても、あほな光は真っ直ぐ行きたいと言っているのです。つまり、世の中の風潮はもう既に別の方向に変わっているのにまだこちらの方向に向けてひたすらに走り続けている。これが私であると言ってくれたのです。つまり、その時代、ひたひたと押し寄せている新しい流れにやはり私は追いついていなかったと思っています。きついですねえ。
また、これは九後さんに言われたことですけれども、吉田兼好の徒然草の「徒然草 第百八十八段」の話をしてくれたことがありました。中身を引用しましょう。
 

(現代風に翻訳したもの)

「ある人が息子を坊さんにさせようと思い、「勉強をして世を理解し、有り難い話の語り部にでもなって、ご飯を食べなさい」と言った。息子は言われたとおり、有り難い話の語り部になるべく、最初に乗馬スクールへ通った。「車や運転手を持つことができない身分で、講演を依頼され、馬で迎えが来た時に、尻が桃のようにフラフラしていたら恥かしい」と思ったからだ。次に「講演の二次会で、酒を勧められた際に、坊主が何の芸もできなかったら、高い金を払っているパトロンも情けない気持ちになるだろう」と思って、カラオケ教室に通った。この二つの芸が熟練の域に達すると、もっと極めたくなり、ますます修行に勤しんだ。そのうちに、有り難い話の勉強をする時間もなくなって、定年を迎えることになった。」
まぁ条件づくりばかり一生懸命努力して、肝心の、お経の勉強をしなかったという話です。「坂東さんも、そうなるで」と言いたかったと思うのですよね。「保育所の運動やら何やらやってもいいけど、そんなことばかりやって結局準備だけして何にもしないと、こういうことになるのと違うか」と九後さんが警告してくれたのだと思います。
いろんな人がいろんなことを言ってくれました。私も自分でも「小銭を貯めるような研究してるなぁ」と自分で思っていたんですね。文系の女性の友だちにこういう話をしたら、「えっホンマにお金貯めてるの?」と言われて、「あほかいな、何がお金が貯まりますかいな。つまらん論文ばかり数で稼いでいるっていう意味やで」って言ったのですけども(笑)。要するにちょこちょこっと院生レベルの論文になるようなテーマを探してやっていたと。まぁこういう気がします。それがいいと思っていたわけではありません。やはり、生活に追われて、合間を縫ってともかく論文を書くことだけに終始していたのだともいえます。そうすると、目先のちょこちょこしたことしか思いつかず、大きな目で何を今やるべきか、そういう構想が抜けていって、野心もなくなってくるのです。私は、何のために、苦労して大学院まで来て、大して後世に残るような仕事をできずに終わってしまうのか、どうして滔々と次の課題を大きく見据えた構想、発想が出てこないのか、とやっぱりどこかで後ろめたいものがありました。これはいけない、ひたひたと迫ってきた革命の波を知らん顔して、目の前の仕事にへばりついていたのでは、だめだ。そう思って、当時研究室で檄を飛ばしたのです。そして、新しい方向に向かって勉強を始めよういうことでした。その時の檄というのはどこかに残っているはずなんですけれど見つかりませんでした。ともかく同志を募って、勉強を始めた、ということなのですね。
当時「ひたひたと押し寄せていた革命の嵐」とはどういうことやったかというと、昭和35(1960)年に南部さんのGauge Invarianceに関する論文が出たのです。それは、BCS理論は Gauge Invarianceを破っていることを真正面から取り上げた論文でした。Gauge Invarianceというのは元々、自然の特質を具現している、ものすごく大事なプリンシプル(principle)ですから、それが破れているというのはどういうことか、ということを徹底的に追及されたのだと思います。聞いてみると南部先生は、その当時シカゴにおられたのですけれど、BCSのうち、若手のS、シュリーハーがシカゴ大学に来てセミナーをやったらしいのですね。それで、話を聞いて「ゲージ(Gauge)対称性が破れているではないか、どういうことだ」というので議論になりました。皆それを問題だとは思っていたのでしょうね。ですから、本当はこのことを気にしなければいけないことなのですけれども、それを徹底的には気にしなかった。たぶん南部先生はそれを気にされて、それを解明された。それがゲージ(Gauge)対称性の自発的破れといいますか、後々ノンリニアな表現という言葉で論文的には著されますけれど、そういうことを提起したのがこの論文ですね。その後この流れの延長線上で、ゴールドストーン、ヒッグス、キッブル、こういう人たちが仕事をして、結局昭和42(1967)年のワインバーグ=サラムの標準理論に至るわけです。これが画期的なのは、それまで強い相互作用も同じ問題を抱えてはいるのですが、それはさておき、弱い相互作用が場の理論で取り組むことはできなくて、現象論的にしか取り扱えなかった時代に、どうやって、さまざまな相互作用を統一して理解したらいいのかという方向が見えなかったわけです。本当は力というのはゲージ対称性で説明できる、全部ゲージ粒子が交換するということで理解されてもよいのに、なぜだろうというのは皆気にしていたわけですが、それがきれいな形で、群論の表現論で表され、物理としても「自発的対称性の破れ」というメカニズムですべて統一できたのです。考えてみると自発的対称性の破れというのは当たり前のごくありふれた現象です。例えば空間に何もなければ、空間のどの時点も平等です。しかし、空間にものがなければなんの面白味もないし、普通はモノがあるわけですね。そうすると、そのものを空間の中に置いた途端に、空間は対称性が破れます。置いたところが特殊な点になりますね。ただ、重要なのは、その置くところは空間のどこでも可能性がある。どこに置いても、その状態はそれぞれ可能性としてはありうるのですね。だからたいていは自発的対称性は破れたところに住んでいることが多いということです。
さて、ついでながら、ワインバーグの論文が大きな影響を与えました。この論文、たった2ページぐらいの短いものだったと思いますが、これはワインバーグの単名の論文ですね。この論文を書くころの様子です。ワインバーグはそれまでずっと弱い相互作用のことを考えていたわけではなくて、強い相互作用の中で、ロウメソンとかゲージボゾンみたいなものがあるのはどういうふうに考えたらよいのか考えていたらしいのです。こういうとき、キッブルがセミナーをして、それを聞いたワインバーグが、あっと思ったというのです。実はワインバーグのこの頃のエッセイを読むと、「高速道路を走っているときに思いついた」と書いてあるけれど、実は本当のところは、その前の、キッブルのセミナーがきっかけなんだと思うのですね。「あっ、これで弱い相互作用の問題が解けるはずだ」と思ったのですね。これを弱い相互作用に応用すべきだ言うのでさっさと論文を書いたのです。普通だったらキッブルが目の前にいるわけだから、そこへ行って議論をしますよね。議論して一緒に論文を書くと思うのですが、議論をしなかった。1人で論文を書いたのです。実は私はあとで参考になるとワインバーグの論文、2ページほどのレター(Letter)ですけれども、それを一生懸命読んでみると、キッブルにヒントを得たはずなのにキッブルはなにか脚注にちょこっと書いてあるのですよ。うまい書き方ですね、あれ。まぁ自分を目立たせるうまい書き方だなぁと思って感心しました。まぁそういう論文を書いた。それでもこれは画期的だったと思うのです。これはやはり暗闇の世界から場の理論の透明な明るい部屋に導いたと思います。そして、この展開がそれまでの現象論しかできなかった素粒子論の世界を大きく変えることになりました。このことはよく知られていることですが、もう一つ言っておくべきなのは、このワインバーグ=サラム理論は、それと同時に、宇宙の初期を素粒子論で説き明かすカギを与えたのでした。つまり、この2つの画期的な革命が、ひたひたと、この頃私たちのまわりに押し寄せていたのです。そういう時期を迎えていた。
それなのに、私は、その後もまだぼそぼそと現象論をやっていたのです。まぁ、素粒子の分類はこれだけではなく、今度は力の媒介としてのゲージ粒子、WとかZとか、弱い相互作用を取り扱う粒子も一緒に入ってきた。それと同時に見たこともないヒッグス粒子も素粒子の分類に入ってきていた。こうした革命期に、いち早くその息吹を察して、自分の仕事に反映させることのできた人はいい仕事をすることになります。乗り遅れると、なんとなく、惰性で仕事をするということになります。そして、素粒子の新しい分類学が始まったのですね。
素粒子屋は、分類だけでは気がすまないのですよね。それで、たぶんいろいろな人が考えていたと思うのですけれど、「それでは強い相互作用はどうか。それも統一して理解したい」という強い好奇心が沸いてきます。しかし、強い相互作用を統一するにも、その相互作用の強さが全然違いますよね。強い相互作用はストロングだし、弱電磁相互作用は非常に弱いし。そういう違うものをどうやって統一するかという問題が浮かび上がってくるわけです。その時、やはり画期的だったのは、このジョージ・クイーン・ワインバーグの理論なのですよね。さて、次の問題は、素粒子の分類ですが、結局強い相互作用とこういうふうに3つの相互作用があるわけです。これについては、先ほど名古屋模型の話をしました。そこでは、まずニュートリノがあって、電子などの軽粒子(レプトン)がある。それに対応して、強い相互作用をするハドロン族がある。これも今では、クォークの一群です。電磁的に中性のニュートリノに対応するレプトン、これはe(イー)、μ(ミュー)、τ(タウ)というレプトンです。弱い相互作用を含めて、この1つずつに対応するニュートリノがあるというのを見つけたのは昭和37(1962)年頃からですから、そういう意味ではきれいにまとまってきた。こういうふうにまとまってしまうと、なかなか対応関係が見えてきます。そうすると、もっとすべてを統一したいという話になります。それがガット(GUT大統一理論)です。そこでは、弱電磁相互作用・強い相互作用を含めて統一するという第1の目的と同じところに行きつきます。そこで重要な役割を果たしたのが、まさに、ジョージ・クイーン・ワインバーグの論文だと思います。クイーンの写真、これは見たことないでしょう。ちょっと必要があって、「若い時代の写真をくれ」といって、これ、直接もらったのですよ、最近。
ところで、ちょっと横道にそれますが、この人、ハワード(ジョージャイ)は、女性研究者をものすごく支援しているのですよ。ハワードが非常にそういう意味では女性研究者支援で有名で、リサ・ランドール、エリザベス・シモンズ、アン・ネルソンなどたくさんの著名な女性科学者が輩出しました。リサなどは、MITからのオファーもあってそちらに行ったのですが、MITは女性差別があって、結局居心地のいいハーバードに帰って来ていますよね。どうも偶然にしては、このあたりの女性研究者は、みんな美人ばっかり居るんだけど、どういう訳でしょうね。
そんな冗談はさておいて、元に戻ると、彼らが何をしたかというと、我々のエネルギーレベルで見ると、強い相互作用、弱い相互作用、それから電磁相互作用、こういうの全部ですね、全然違った強さの結合定数をもっているので(図では、結合定数の逆数を縦にとっているので、強いのが下に出てきて弱いのが上に出てますので間違わないでください)、統一するのは無理ですよね。それが、発想の転換なんですが、エネルギースケールを変えていって、ということは、どんどん素粒子の周りの雲をはぎ取って、中心部分の芯に近づくと、統一できるのではないかという、すごい考え方を出してきたのです。すごい発想の転換ですね。要するに繰り込み群というので追いかけていきますと、エネルギーの高いところで超対称性だったらどうもこの辺で一致すると。ですから、低いエネルギースケール(私たちの日常の世界)でみた時の結合定数を決めているのは、ですね、3つの要素があるのです。まず生まれですが、これは平等なのです。それで、次に努力、ここで繰り込み群で、周りの影響を受けながら、相互作用しながらどんどんどんどん自分が大きくなる人もあるし、小さくなる人もあるのです。それで大きくなったり、小さくなったりする。でも、これだけだと、まだその差は大きくありません。これだけでは決まらないのですね。もう1つ、最後に運がいるのです。この運を操っているのがヒッグス粒子。例えば弱電磁相互作用が自発的対称性を起こして、別れていくところ、この辺から下はバッと変わって、弱い相互作用のうちの電磁相互作用はまたもっと小さくなりますね。ここのところは、一生懸命努力だけでは生まれてこない。こういうようなことになっています。この運命は、革命児ヒッグスが運命を左右していますが、これがまたおもしろいところです。これは、素粒子の運命を決めているだけでなく、宇宙の運命も決めています。宇宙の相転移もそういう革命児が決めていくのだということです。
これをエネルギースケールの変化に伴って走るので「ランニングカップリングコンスタント」というのですけれど、本当にランニングなんて名前うまいことつけますね。日本ではよう付けないでしょうね。それに対して、我々ウォーキングカップリングコンスタントだったらどうなるか、という話もやった覚えがありますけれども。
そういうことで、統一理論というのが段々見えてきたのです。そして、世の中の相互作用は全てゲージ理論で説明できるという時代を迎えるわけです。
ただ、1つ、コメントしておきたいのですが、本当はもっと謎は深いです。なぜかといったらもう1個欠けているものがあります。それはヒッグスとの相互作用です。ヒッグスとの相互作用は今でもゲージ相互作用などでは理解できていません。全然分かっていません。ヒッグス粒子というのは「神の粒子」などと言われたりしますね。確か、昔、愛知大学で教えた時に、ヒッグスはエライみんな面白いらしくて、やって来て、「ヒッグスいうのはなんか質量を与えるのですって。どうして、質量を重くできるのですか?」とか言って、すごい興味をもっているのですね。まぁ、相互作用の強さが結局質量を決めるのですけれども、そういう質量はなかなかゲージカップリングのようにうまいこと出てきません。でもヒッグスがどういうふうにして強さをいろいろ変えているのか、まだ謎のなかです。つまり、ヒッグスを巡る相互作用は、まだまだ分からないことだらけです。ですから、4つの相互作用はうまいこといったというけれど、ヒッグスはどうしてくれるのということですね。
さて、その素粒子論を宇宙へ応用したのは、佐藤勝彦さんだと思うのですけれど、すごいなぁと思いますが、この佐藤—佐藤というのが2人でカップリングがこう下の方では違うのだけれども、段々上の方では統一してくるというのをこういうふうに書き換えた。縦を横にしたといいますかねえ。さらにいえば、九後さんがさっき言っていたのは、このエネルギーいうのを、時間に読み変えた、つまり、ラージT(温度)を、スモールt(時間)に変えたのだという言い方もできますねえ。宇宙の創生期には、統一理論のエネルギーの高い状態が見え、我々の現実の世界は低いエネルギースケールの状態で、非常に違って見えるということを、宇宙の初期と今を比較する話に変えて、統一的に理解するという離れ業をやりました。こういうことが宇宙に適用できるというのは本当になんというかびっくりするような話ですね。
さて、私はその後の仕事は、1,2,3,4とありましたけれども、統一的理解に向けての取り組みです。特に群論を駆使して、理解を深めるという仕事をしてきたと言えるでしょう。このhidden local symmetry(隠れた対称性)という仕事は、ドラマティックな展開をしました。さっきの話と関係するのですけれど、ビル・バーディーンという人がいて、バーディーンの息子さんなのですけれど、ビルはよく日本に来ていて、セミナーをやったのです。その頃、京大に、山脇さんがよく来ていました。名大では忙しすぎるから、ちょっと勉強しに来たということでした。この時、ビルが基研でセミナーをやったのですが、私も忙しくて行けなくて、山脇さんもこっちで勉強してて、行けなくて、九後さんが基研に行ってきたのですね。九後さんが帰ってきて、「どんな話だった?」と聞いたら、それが、えーっていう話になったのです。実はさっきのウォーキングカップリングコンスタントみたいな話に繋がっていくのですけれども、ともかくちょっと矛盾があって、そういう議論をしているうちに、私は、「これ面白いから、ビルのところに行って一緒に議論しよう」って言ったのです。そしたら、そこにいた松本さん(松本公式で有名な人です)が、「ちょっと待て」と言ったのですね。それでワインバーグのさっきの話をして、「セミナーの後ですぐに行ってちょろちょろ言うものではない」と。「こっちでちゃんと仕事しようや」ということになり、結局ビルには言いに行かないで論文にまで仕上げてしまいました。それが「テクニカラーモデル」というタイトルの論文で、PRLに出したのですが、実は「テクニカラーという名前は製品の名前だからハイパーカラーに変えろ」とPhysical Review Lettersのレフリーに言われました。結構、そのほかにも「こんなのはフェイク対称性だ」と言って、なんかうるさいことを言われましたけれど、最終的には採択されました。ともかく、もっと違う相互作用がこの世の中にあってもいいのではないか、つまりWボソンとかなんとかそういうハイエナジーのもっと上の方に、もっとクォークのウルクォークのようなもの(テクニクォーク)があって、それのいろいろな結合状態がクォークだという次の階層を提示した模型でした。そういうことをやったときから一緒にやり出して、このhidden local symmetryというのに到達していったのです。これはやはり、なんといっても九後さんがいたからできたのだと私は思います。ですから私の業績というより九後さんの業績なのです。
この群論の得意で、冴えた九後さんも、私たちに負けたことがありました。それが、2番目の超対称性の非線形表現の仕事です。超対称性というのはさっきも言ったように、スピンをつなぐので、スピン0のもの、2分の1のもの、1のもの、をですね、同じグループに入れるような群です。このすごい構想の話なのですね。普通は、空間回転対称性から出てくる物理量としての角運動量は、L=1だったらL=1で1つのグループになっていて、それは、L=2とは違う表現に属します。こういうものを縦につなぐというのはできないのだけれども、それをやるというのがこの超対称性の理論なのです。
ちょうど九後さんが、超重力理論から出てくるE7(例外群の一つ)の対称性の話をしてくれて、これが結構私には魅力的だったのです。なぜかというと、この理論を、素粒子の統一理論に応用しようと思っていました。そして、超対称性を持つ理論の「自発的対称性の破れ」の定式化がどうしても必要になってきたのです。それをいろいろ考えていたのですが、うまいこといかなかったのです。九後さんが、日本にいたら一緒に考えようといったかもしれませんが、ちょっと、彼はCERNに行っていました。そこで、益川さんのところに、相談に行ったのです。「ちょっとこれどうにかならん?」と言ったのですね。(これだけちょっと内緒ですが)、益川さんはその当時は仕事をしないのですよ、小林-益川やった後あまりしてくれなくて、いつも、もったいないなと思っていましたので、「アンタそんな仕事しないでいたら、頭錆びるで」と言いました。「錆びないようにこれやらへん?」と言ったのですね。そうしたら益川さんが、ですねものすごい興味を持ってのってこられたのです。「これおもしろい。坂東さん、金貨を見つけたね」と言って、委員会やらなんやらで忙しいのに、新幹線に乗っていく度に、帰ってきては、「わかったでー」と言ってメモを持ってくるのですよ。帰ってきてなんかメモ見て、それを解釈するだけで大変でした。分からないところとか、ちょっとおかしいところとか、これどうなってるのと言ったら、また益川さんが次に考えてくるというような、そんな感じで論文を書いたのですけれど、超対称性の不変量をいかにして見つけるか、が実はこの問題を解くカギだったのですが、それって大変難しい仕事だったのです。私には歯が立ちませんでした。超対称性の表現ってものすごくややこしいのです。でも、やはりさすが数学のできる益川さんですね、見事にそれを見つけたのですね。それで論文を書いたのです。
その時だけは九後さんは海外から、「負けたぁ」と言ってきました。余程悔しかったと思いますね。九後さんは向こう(海外)で、やはり同じ問題をやっていたのですね。これだけは、九後さんは向こうに行っていたから、1人でしたからね。益川さんに負けたので、私に負けたのではないと思いますけれど。そういうような思い出もあります。ただ、ちょっと残念なのは、結局、この超対称性の自発的対称性の破れの理論は、きれいにはできたのですが、その応用がまだこれと言って現実の統一理論に結び付いていないのです。これだけはとても悔しいです。絶対何かの役に立つはずなんですけどねえ。特に、大統一理論、これはやはりSupergravityが重力まで含めた統一理論をどうしても作りたい。重力まで含めた統一理論としてSupergravityというのがあるのですけれども、そういうことをやるとSupersymmetryも非常に重要になってくるはずです。このSupersymmetryを使うと重力はスピン2ですよね。スピン2からスピン0まで含めて、全部を含めて統一的に1つの群に入ってしまうというような話ができていいはずです。これでやるとものすごくきれいで、レプトンやフォトンもみんな出てくるようなきれいな形にならないかということで随分頑張ったのですけれど、まだできていないので、これはまだ夢のままです・・・。まぁいくつかこういう仕事もしましたが、これぞという納得できるものがありません。
もう一つ紹介します。こういうのをまとめてPhysics Reportsに書かしてもらったのですが、これもちょっと逸話があります。私の夫は、当時「ハイパー核の走りをやっていました。その仕事が評価されて、バークレーに招待されたのですね。その時に向こうにPhysics Reportsのエディターだったジェリー・ブラウンがボスですが、みんなにうちの夫を紹介するのに、おちょけてですね、「この人はあのhidden local symmetry をやってる人のダンナさんです」と片目をつぶって彼の顔を見ながら、皆に紹介したのですね。まぁおちょけてやったのですね。それで夫が帰ってきて、「ジェリーはえらい評価してるで。Physics Reportsに書かしてくれるのとちがうか。言うてみ。」と言ったのです。それでこちらから、オファーしたら、すぐ一つ返事(ママ)で書かしてくれるという話になって、いよいよ、九後・山脇・坂東で分担して書き始めました。あの時は徹夜ばかりやって、山脇さんが血を出したり、まぁ大変でしたけれども。まぁ大騒ぎで、Physics Reportsを仕上げたというような感じでした。実は、この中で、九後さんが悔しがった超対称性の非線形表現(Supersymmetric non-linear realization)のところは、私でなくて、九後さんが書いたのです。もっとスマートにまとめましたねえ。私はそれを使った、素粒子の統一模型のところ(夢を語るところ)を書きました。
そういうことで、結局後半になって、ひたひたと押し寄せていた新しい波に何とか追いついたのです。でも、当時の同じ年代の研究者は、私だけではなく、革命が起きて新しい転換についていくことで苦労した人は多かったと思いますね。あの当時現象論をやっていた人は、皆そういう形で、なんらかの形で乗り換えざるを得なかったと思うのですね。最近また現象論をやっている人もいるのですけれど、また私みたいにならないかなと心配しているようなところがあります。
あとちょっとになりましたので、今やっている低線量の放射線の影響について、ちょっとだけ話しておきます。3.11以後、今回の事故が起こって、放射線はちょっとでも怖い、危ないというALARAの原則というのがずっと支配していましたので、物理の人たちは、そういう固定概念を持っていました。ところがですね、生物は生物で、放射線というのは医療でものすごく使っていますので、1gray、そんなの大したことない、という感じがあるわけですね。そういう違いがあって、結局私たちは、放射線の生物への影響についての評価が極端に違うことを知りました。こういう議論ができたのは、このNPO知的人材ネットワークあいんしゅたいんに、分野横断的な人材が集まっていたおかげです。
勉強してきて分かったことは、まずLinear Non-Threshold:LNT仮説と言いますが、ちょっとでも危ない、ちょっとでも当たったらそれだけ体の中の細胞、特にDNAが破壊されるというような定説の根拠になったのは、生物実験、人工的な突然変異がどのように起こるかというデータでした。一番最初にやったのは、実はこの人、ノーベル賞をこの分野でモルガンの次にもらった人でミュラーといいます。このミュラーという人はショウジョウバエにX線を当てて、ものすごい急性照射で9grayくらい当てるなど、それも1分間に何grayも当てるような実験をして、すごいですよね、やったのです。彼の得た結果は、総線量と突然変異の関係を示すグラフです。尤もミュラーはたった3点のデータでした。3点をとって、LNTもないだろうと思いますけれども。でも、その後ショウジョウバエの実験が大流行して、沢山の人が追試しました。当時の問題意識は、「自然的に突然変異が起こる」というのは分かっていた。だけれど「人工的に突然変異を起こさせることができるか」というのは、皆ものすごく興味を持っていたが誰もその証拠を見つけていなかったのです。あちこちで実験が行われました。そのうちの1人がミュラーで、ミュラーは成功したのです。ハエのどの種類の何を使うかという、その系統を培養することが重要なのです。ハエを飼うのは大変らしいんですよね。それで、Clbという系統を作り出して成功したのです。このClb ショウジョウバエが基調で、その後の大流行になりました。結局皆やってみたら総線量だけで大体一直線になるぞというような結果に収れんしていきました。しかしその後の歴史を見ると、ハエだけではいけないということで、ラッセルという人がオークリッジで・・・オークリッジは戦中は原爆の開発に使っていたのですけれど、戦後生物も入れて衣替えしたのです。オークリッジでは、1つのビルディングが全部ねずみの飼う部屋になったそうです。700万匹くらいのネズミを飼ってですね、というのは10万匹に1匹くらいしか突然変異を起こさないのでこれだけのネズミを飼わないと有意にでてこないわけです。そういう実験を30年くらいやりまして、そして放射線のトータル線量だけではなくて、線量率つまりどのくらいゆっくり当てるか、アキュートに当てるかということで随分違うということを発見します。それから、それを見て、このハエの超低線量率の実験、・・実は、ミュラーのは低線量率ではなくて高線量率でやっていたのでやりますと、やはり線量率効果が出るのだということを発見しました。このメガマウスの実験では、目の色が変わったとか、毛の色が変わったとか、耳が短くなったとか、そういう見える突然変異を調べたのです。そうすると、高線量率と低線量率では、変異率がずいぶん違うことが分かってきたのでした。しかし、国際的な防護の関係ではミュラーがノーベル賞をもらったということもあったのかもしれませんが、結構発言権があったらしく、米科学アカデミーに作られた検討委員会、BEIRという組織で、かなり強く主張したのだと思います。ノーベル賞講演でも彼はものすごくそのことを強調しています。すでに線量率効果があるということは分かっていたのになぜミュラーがこれだけ主張したのかは謎なのですけれども、ともかくそういうことでずーっとLNTが放射線防護の基礎的基盤を与えてきました。そしてそれは、今まで続いています。これはどういう結論をもたらすかというと、いくら線量が低くても、総線量に応じてリスクは蓄積するから、例えば今の福島の線量率のように、自然放射線の程度でも超過分があれば必ずそれだけリスクがある。そうすると、1年経ち、2年経ちそして10年経てば10倍になるのだというわけです。よく「預託線量」という量が、事故後騒がれた問題になりましたが、あれは「一生のうちにどれだけ蓄積するか」を出しているわけです。
ところが、線量率効果があるということは、ノーマル細胞が放射線で刺激を受けて、突然変異を起こしたとしても、修復とか変異細胞が死んだりするってことですね。インプットとアウトプットがあるわけですから、それらを全部含めて、全部入れてちゃんとやらないといけないということになります。そのためにはきちんと、定式化する必要があるだろう、ということです。こういう定式化については、初期の段階はリーという原子核をやっていた人が、「標的理論」というのを出して、ともかく線量をたくさん当てたら、たくさん変異が起こるというところまではやっていました。しかし、アウトプットの効果は当時は入れなかったのです。ラッセルのデータなどが出てきたら当然こういう模型があってもよさそうなのですが、不思議ですね。ところがその後こういうのが出てきたにもかかわらず、誰もそれをフォーミュレートしていない、モデルを作っていない。この間もそういうことを話していますと、「でもね、LNTはずーっと今でも生きていますよ」と。BEIR VIIというのは平成18(2006)年に出たものですけれども、これで確認されてがんリスクにも使えることを確立したというわけです。それで、実は読んでみたのです。そしたら、LQモデルというのが使われていて、2次曲線でフィットしています。まあ、さすがに、やっぱり直線ではいかないのでしょうがないから二次の補正を加えるのですね、それをLQモデル:Linear Quadratic Model、何をモデルと思うかですけれど、それでLinear Quadratic Modelをこう合わせたと書いてあるのです。でもそれを見てびっくりしたのは、底に書いてあるLQモデルの曲線のグラフはどう見ても2次曲線ではないんです。これ2次曲線ですか?そんなこと誰が見たって、中学生でも分かりますよね。これは2次曲線と違いますよ、この辺に変曲点があるのに。びっくりしました。BEIRという国際的に有名で権威のある科学者の集まりが出したレポートで、こんな図を平気で載せていたので、ほんとのところ、ショック受けています。
それで、私は、時間変化をする変異率の微分方程式で表して、モデルを作ってみたのです。それまではこういうトータルの線量の微分で出していたのですが、発想を変えて、ともかく時間微分方程式を立てたのです。そしたら、様子が違うのです。当たり前ですね。破壊される細胞をなくすもぐらたたきのような様子が見えて、時間的に追い付ける程度の破壊だと、変異細胞はある一定のところで増えなくなるのです。ですから、時間的余裕があるかどうかがカギになりますので、時間微分の方程式を立てないとだめだということは明らかなのですが、それをやっていなかったのですね。実はこれは、生物の人は微分方程式は、「too mathematical」だというのです。なかなか大変なのですよ、この世界も。そんなことがありますが、ともかく私は統一的なピクチャが好きなので、真鍋さんや和田さんという物理の方々と一緒に、今色々と分析しています。そして、線量率の効果をきちんとデータにしているところは少ないのですけれど、ムラサキツユクサ、ショウジョウバエ、ネズミ、トウモロコシ、キク、のデータを探してきて全部統一的に記述してみました。まず、データは、こんなふうになっているのです。

ムラサキツユクサ、ショウジョウバエ、ネズミ、トウモロコシ、キク、のデータを全部統一的に記述したデーター

それを、ですね、先ほどの式(解析的に解けます)、スケールされた時間(τ)と、スケールされた変異率(Φ)というのを定義して、きれいな式になるので、これで描いてやりますと、ものの見事に全部きれいに直線に乗るということが分かりました。
それで統一的ピクチャというのはやはりええもんやなぁと思っているのですけれど。これに感心してくれるのは物理屋だけで、生物の人は「それがどうした」とまだ言われますけれどね。
元に戻ります。そんなことで、私の夢はやはり、この世は4次元かということを解明したいなぁと。4次元以上の世界がなぜ我々の3次元の世界に縮約してきたのかというのは、特に境界のところにフェイズの違う、この間にエネルギーが溜まりますので、どういうふうにしてそこにエネルギーが溜まって3次元の世界ができてきたかということを説明しなければいけないのですが、最近、ちょっと面白いことがありました。
あいんしゅたいんで企画している「親子理科実験教室」
http://jein.jp/science-school.html
で結晶の作り方、過冷却水の中にちょっと何か種をいれるとバーっと氷ができるのですけれど、その実験を若手がやってくれました。そのでき方が、3次元的に広がっていかず、直線的、あるいは平面的な広がりをします。宇宙の中で、我々の空間ができたのもひょっとして。多次元空間からより低次元の空間が作り出されるのと、関係しないかなぁとちょっとこの頃そういうことに興味をもっています。
ともかく、他次元を考えるのが面白いのは、やっぱり一番おもしろいのは、重力というのが、なぜ弱いかというのが説明できるということだと思います。なぜかということですが、私たちの宇宙、つまり、この世は多次元の中の低次元の膜(ブレイン:BRANE)なのですが、そこで、重力だけはちょっと異質です。どういうことかというと、普通のゲージ粒子も弦のようになっているのですが、全部、端がここ、ブレインにへばりついているのすね。ところがストリングモデルでは重力子は、閉弦(クローズドストリング)なので、ブレインにへばりつく必要はないわけです。で、ブレインから飛び出せるのです。普通のゲージ粒子は、力の関係はクーロン力のタイプになります。なぜかというと、ゲージ粒子の出るところから、3次元的に広がっていきますから、遠くに行くほど薄まります。その薄まり方は、点源からの距離、Rの2乗分の1で減っていきますね。つまりそれだけ力の強さが弱まるのですね。つまり散らばった分だけ力が弱くなるのです。ところが、重力は散らばり方が、他の次元にまでいきますので、その分だけ重力の相互作用が小さくなります。これ、おもしろいと思います。そういうふうに統一的に理解しようとすると、やはり異次元の世界がありそうではないですか。やっぱり、こういう話に、もっと挑戦したかったなぁ。もう年ですので後の人にやってもらわなければしょうがないのですが、と思います。
もう一つ、世代問題は謎のままなのですけれど、クォークの質量がこういろいろありまして、これを書いた当時はトップクォークがまだ見つかってなくて、顔を隠していましたが。ものすごいヒエラルキーなのですね。そういう階層性、何倍ではなくて指数関数的な増え方の質量の階層性というのを出せるのはやはり異次元と関係しているのではないかと思うのです。このような発想から、フレーバーを持つメソンの話を菅本さんたちとしたりしました。というのはフレーバーの高い、トップとかボトムとかいうのは、ちょっとだけ、この世からはみ出ていて、uとかdとかのクォークは我々のところのブレインにへばりついているのだというふうにします。そうすると、異次元に行くのはものすごい山を登るみたいに大変なのですね。だから重くなるのだということになる。こうして、クォークの質量を説明するというような、話しも考えてみました。こんなふうに異次元にちょっとはみ出しているものが違うのだということで説明する。あまりきれいにできないのでこれ以上どうにもならないのですけれどね。まぁ、そういうのが夢でした。これも、やり残したもの、心残りの1つです。
最後に、私が学会長を引き受けたわけをお話しします。実はこれは、やはりポスドク問題だったのですよ。当時ポスドク問題を何とか解決しないといけないと思ったのですが、個人の努力では限界がある、やはり学会が動かないといけない、そういう気持ちでした。女性研究者の問題は学会の中である程度できたのですけれど、ポスドク問題は大変だった。交渉に際しては、私の前の物理学会長の佐藤勝彦さんが、いろいろと指導してくださいました。私は、佐藤さんみたいに文科省の知り合いもいないし、そもそも、文科省なんか要望出したところで、どうせ聞いてくれないのだし、あんなところに要望に行ってもしょうがないというような気持ちがちょっとあったのです。そうしたら佐藤さんが、「そんなこと言っていたらいつまでたってもものは実現しない、僕がついていくし、行こう」ということで、要望を持って研究者の支援の問題を持っていったのです。その時おもしろかったのは、行って、佐藤さんが、「説明してくれますか」と言うので、一から説明したのです。そうしたら佐藤さんが横で、「もうその辺は分かっているから、単刀直入に要望だけ言ったらよろしいですよ」とささやいてくれたのです。私は、はっとしました。今まで行政に要望をしに行ったことがないわけではありません。保育所のとき運動のときをはじめとして、いろいろと地方行政などに出かけたこともありました。そんな時最初は一から説明することが多かったのです。でも、国レベルの文科省との交渉という面から見たら、私は経験がなかったので、まあ、レベルはM1くらいだったでしょうね。文科省の人たちは、私たちが何を言うかが分かっていて、勉強しているわけですよ。すごいですね。やはり役人の人は。ですから、時間も無駄なので、単刀直入に要望をまとめていえば、文科省の役人にはもう心得があるわけです。すぐに対応する資料を持ってくるのですよ。それで私はそれに感心して、「やはりよう勉強しているわ」と思って、それ以後よく行くようになりました。
男女共同参画では、年に1回、「男女共同参画学協会連絡会」の主催で学会の連合でシンポジウムを開きます。今も続いていますが。その時、必ず、文科省の役人の方々を、招きます。その時のことです。「担当のお役人さんが来ました」と言われて、私は、「じゃあ、まだ時間があるから、その辺のパネル見てもらっていて」と言ったら、文科省の役人で男女共同参画担当だった塩満さん(そういえば彼女はこのお茶大で男女共同参画のお仕事をなされていましたね!)がえらい怒って「坂東さん、本当に要望を実現する気があるのですか。文科省の役人の人が来られたら、すぐに自分の名刺を渡し控室で一緒にお茶を飲んで、それで顔をつないでおくというネットワークを作るのが大切なんですよ。そうでないと、次の交渉ができませんわ、それが目的で控室を作っているのだから、ちゃんと次の交渉のことを考えるぐらいのことを考えておかないといけないですよ。そんなことではあきません」と説教されました。その後、赤松良子先生に会ってそういうふうに怒られたといったら、「それは当たり前だわ、芸術家と物理屋はあかんわ、礼儀を知らんなあ」と言われました。まあ、私が物理学会長を引き受けたのは、こんなことがあって、本気で政策を変えようと思ったら、しかるべきところでしかるべき役割を果たさないといけない、そう決心したようなものでした。そんなこともあっていろいろ勉強をさせていただきました。どの分野でも、やはりポスドクの問題というのは、大学政策も含めていろいろな意味で、搾取型ポスドクをなくしていかないと、これからの科学は発展しないだろうなと思います。研究者の人も大変な時代を迎えていますので、頑張って少しでもいい研究ができる世の中にしていきたいと思います。ありがとうございました。
〈司会〉ありがとうございました。何かご質問等ございますでしょうか。
圧倒されてという感じでございますか。では後ほどの懇親会ででも何かございましたら。ではどうもありがとうございました。(拍手)

司会:では引き続きまして、関口仁子先生の講演「原子核物理学における3体核力に関する実験的研究」でございます。よろしくお願いいたします。

関口 仁子 氏(東北大学大学院理学研究科 准教授)講演

東北大学の関口です。このたびはこのような名誉ある賞をいただきましてありがとうございます。坂東先生の非常に圧倒的なお話の後で私がお話するのは、若干というよりかなり重いのですけれども、この私の仕事は、実は湯浅先生がなさっていたお仕事に非常に似ておりまして、この賞を頂けたことをとっても嬉しく思っております。これから三体力、核力の話をさせていただきますけれども、この10年でようやく認知されてきた、つまり確立されてきた核力でして、そのお話をさせていただきたいと思います。
今日のテーマというのは原子核物理学です。素粒子の後に原子核の話をするのも若干やりにくいところもあるのですが、誇りをもって研究しております。20世紀初頭に生まれて古くて新しい物理学です。今回お話させていただくのは、原子核の中で働く力がテーマとなっております。20世紀初頭からですので、約100年続いている物理学ですが、20世紀初頭に分かっていた力というのは、どのようなものだったかということを初めにお話しさせていただきます。
まず、重力ですね。我々の周りに、よく感じている力が重力でして、太陽系で考えると中心に太陽が存在してその周りを地球などの惑星が公転している、この系で働いている力が重力です。もう一つ分かっていたのが、電荷をもった粒子どうしに働く力で、電気力です。例えば同じ符号の電荷をもった物体どうしでは斥力が働き、符号の異なる電荷をもった物体どうしには引力が働く、ということが分かっていたわけです。それでミクロの世界に入っていきます。原子核というのは原子の中心に存在しますけれども、原子の大きさというのが、最近よく聞くナノの世界、1オングストローム程度ですけれども、原子核というのはその10万分の1の大きさになるということが当時分かっていました。その構成粒子は、陽子と中性子です。この非常に狭い空間に電荷をもった陽子と電荷をもたない中性子が密集しているのが原子核であるというのが今でも基本的な考え方となっています。この電荷をもっている粒子と電荷をもたない粒子をこんなに狭い空間に押し込めておくという力は一体何なのかというのが20世紀初頭の原子核物理学のトピックでした。
この力の起源を理解したいということで様々な研究がされてきたわけですが、皆さんご存知のように、原子核に働く力、核力というものに対して金字塔的な理論を提唱されたのが湯川秀樹先生です。昭和10(1935)年の湯川の中間子交換理論が核力のベースとなっています。湯川先生は、核力というのは、陽子と中性子の間にπ(パイ)中間子という仮想的な粒子を交換することによって生じるというふうにおっしゃったわけです。
平成19(2007)年に湯川先生の生誕100周年ということで、朝日新聞に非常に可愛らしい絵が掲載されていたので、ちょっとお見せしたいと思います。湯川先生がおっしゃった中間子交換理論というのは、中性子の女の子と陽子の男の子の間にハートの中間子を交換することで説明できるのですよというものです。
この理論のすごいところは、3つポイントがあると思っているのですが、まず、粒子の交換によって力を説明できる、したがって場の理論の基盤を湯川先生はおっしゃったわけです。もう一つは、その当時は分かっていなかった強い力の起源をおっしゃった。そして、この理論を導くに当たっては、量子力学及び相対論が適用されたというのが、この中間子交換理論のポイントだと思います。
その後ですが、基本的に原子核の中で働く力である核力は、中間子交換理論を基準にして進むことになります。まず理論的には、π(パイ)中間子交換理論に基づく核力理論、その後重い中間子、坂東先生がおっしゃっていたローメソンやオメガメソンなどのより重い中間子を交換した核力理論が作られています。ですので、この理論を検証する実験としては、2核子間の実験、陽子-陽子散乱や陽子-中性子散乱及び重陽子の性質を説明するようなデータを取るという実験が進んでいきます。そして最終的にこの実験というのは、精度の良い実験結果が3千から4千程ありまして、これくらいデータがあるという状況です。
そして核力理論に関しては2核子間力に関しては平成2(1990)年代に一つの転機を迎えます。約4千ある核子-核子散乱データをχ2~1という精度で再現するような2核子間のポテンシャル、二体力のポテンシャルが作られていきます。これをもって一応二体力の確立ということでお話を進めていきたいと思います。
ご存じの方が多そうなのですが、核力というものは、3つの範囲に分けて考えることがよいというのが今でも基本となっています。まず遠距離では1つのパイオン(π中間子)が交換することで説明できる、これは湯川先生がおっしゃった中間子交換理論がメインのところです。また核子間の距離がちょっと狭くなるとさらに強い引力があるということが分かっています。そして核子がほとんど重なるくらいになると非常に強い斥力芯があるということが核力のおおまかな性質であるというふうにいわれています。ただし、この核子というのはスピン、アイススピンをもちますので、ポテンシャルで表しますと、非常にややこしい、たくさんの項があるということが今我々の知っている2核子間のポテンシャル、力となっています。したがって核力というのは、中心力だけではなくて、スピン、荷電スピンに依存する、状態依存性の強い力ということが核力の特徴です。
平成2(1990)1990年代に一つの核力研究の転機がやってきまして、非常に良い精度、2核子間の散乱データ及び重陽子の性質を調べる、再現するような二体力が確立されました。21世紀の核力研究は二つのメインストリームで進んでおります。一つはクォークから核力を理解するという流れ、もう一つは、核力によって原子核やお星様がどう説明できるかという流れ、この二つの流れを合わせることによって最終的にはクォークから宇宙の成り立ちまでを理解するということが核力研究の流れとなっております。
では、私がやっております三体力の話をさせていただきます。三体力というものはいろいろな系でいえるものなのですが、核力なので、3体核力となります。この核力は3つの核子が瞬間的に相互作用するという、2核子間の力では基本的に理解できない力です。その三体力の主要成分というのは、1957年に藤田先生-宮沢先生が提唱した2π(パイ)交換型の三体力というのが有名でして、ファインマン・ダイアグラムを右端にちょこっと表しましたが、3つの核子が瞬間的に相互作用したときにデルタ励起を伴うようなものが三体力の主要成分であるというふうに言われています。ただし、この三体力というのは、二体力というものが確立しないとなかなかアプローチできないということがありまして、実験的にアプローチするということが難しい状況でした。では、三体力にどのようにしてアプローチするかということですけれども、3つ条件があります。3の話をしますのでなるべく3つでまとめていこうと思っています。
一つは三体問題を解く必要がある。もう一つは二体力が解かっている必要がある。最終的には理論を検証するための実験が必要である、という条件があります。では、三体核力、核子間で働く三体力というものにアプローチするにはどういう系がベストであるか。まずやはりシンプルに考えるという意味では、3つの核子からなる原子核の系がよいのであろうというふうに研究が進むわけです。例えば3重水素やヘリウム3の束縛エネルギーを見る、あるいは、散乱系で重陽子-陽子散乱、これから私がお話させていただくような系の実験及び理論研究が重要であるというふうに考えられるわけです。
この系に関して先ほど言った方法を照らし合わせてみますと、三体問題としては実は量子系では三体問題を解けるということが分かっていまして、これはファデーエフ方程式というのですけれども、理論的にアプローチできる条件があったわけです。よく古典力学系では三体問題を解けないということが議論されますけれども、量子力学の三体問題というのは、ハイゼンベルグの不確定性原理があるので自由度を減らせるという利点があり三体問題は解けるということが知られています。これはその当時はソビエトだったと思いますけれども、レニングラード大学、今のサンクトペテルブルグ大学のファデーエフという人がこの理論を作り出しました。もう一度言いますが、二体力が解かっている必要があるという状況が揃わなければ、理論的には三体力にアプローチするという条件が揃わないわけですね。かつ、実際この計算を行う上ではコンピュータの高速化というのも実は重要になっています。ですので、ようやく最近になって、二体力及び三体力の核力の議論ができるようになったというわけです。
湯浅先生もこの三体力にアプローチされました。オルセー研究所でこの少数核子系散乱の実験をされていまして、この資料は当時70年代でしょうか、湯浅先生と親しくされていた、東京理科大の名誉教授でいらっしゃいます尾立さんにこの資料をいただきました。昭和52(1977)年に発表された3核子系散乱の論文がこれです。この中身はどういうものかというと、まず、陽子エネルギー156MeV、その当時ではこのエネルギーでの3核子系の計算結果が出てくるとは思えないエネルギーだと思うのですが、3核子崩壊実験、実験的には、この後に話す私の実験よりさらに難しい実験をされました。かつこの実験をされて高精度の結果を得られたと。そしてそのファデーエフ理論計算との比較をされています。それがこの論文の中身です。三体崩壊と先ほど言いましたが、陽子ビームを重陽子標的に当てて、3つの粒子に崩壊するという実験です。ですので、この測定を行うためには、出てきた陽子を2つ押さえる必要があります。私の実験では実は、この陽子と中性子は束縛して重陽子というものを捕まえるということなので、運動学的にはどちらかの粒子を捕まえればよいという実験なのです。ところが、湯浅先生の場合は、三体崩壊なので幾何学条件を決めるためには2つ粒子を押さえるという実験的には更に難しい方法の実験をされています。湯浅先生が取られたデータはこのようになっていまして、理論計算との比較をされています。ご覧になって分かると思いますが、いろいろな線があります。この当時の計算結果というのは、こういう研究があって私の研究のところまで来ているのですが、まだ精度がよろしくないという状況でした。
まとめますと、この当時は三体問題を解くという理論計算技術、また二体力がまだ解かっていない、確立していないということもありまして、三体力を議論する精度には至っておりません。
では、その後の三体力にアプローチする方法です。これも90年代の後半になってようやくアプローチできるようになってきたわけです。二体力は確立しました。そして、精度のよいファデーエフ理論計算というものが出てきたわけですね。我々が共同研究を行っていますボッフムグループのヴィタラたちが三体力は核子あたりの入射エネルギーが100MeV付近の重陽子—陽子弾性散乱で見えますよという予言をしたわけです。それで我々は加速エネルギー100MeV付近の重陽子—陽子弾性散乱を測定することになったのです。こちらがその理論予測のポンチ絵ですけれども、横軸が散乱角度、縦軸が微分断面積となっています。二体力起因の微分断面積というのは、前方と後方にピークをもって最小値をもつという特徴があります。一方、三体力というのはより短距離的な力なので、角度分布に対してはフラットであるということが考えられるわけです。従って二体力起因の微分断面積が最小になるところで三体力の効果がより見やすいのではないかという予言がされたわけです。ただエネルギーが低いと二体力起因の微分断面積が圧倒的に大きいのでアプローチできないということが書いてあります。こうして重陽子—陽子弾性散乱を行うという流れができてきたわけです。湯浅先生も実はよいところを突いていらしたのです。100MeV付近の3核子散乱を行いなさいと。
その前に、本当に低エネルギーでは見えないのかということに触れておきます。これは九州大学及びアメリカやドイツのいわゆるタンデム加速器で取られた非常に超高精度の実験結果なのですけれども、ご覧になって分かりますように、微分断面積が最小となるところでは、二体力だけがファデーエフ理論計算によってばっちり説明できているということが分かると思います。前方は核力ではなくてクーロンの効果が効いてくるのでこの辺はちょっと無視してください。従ってこのエネルギーでは三体力の証拠は見えませんでした。
我々はようやく三体力にアプローチできる段階になったということを受けまして、三体力に実験的にアプローチするということを始めました。理化学研究所には、今はもうちょっと新しい加速器が動いているのですけれども、90年代に核子当たり100MeV 付近の実験を行う加速器施設がありまして、我々はそこで偏極重陽子ビームの実験の開発を行っておりました。先ほど言ったヴィタラたちの予言を受けまして、三体力の効果を見るために核子当たり100MeV付近の重陽子-陽子弾性散乱の高精度測定を始めました。この写真は我々が実験を行ってきた磁気分析器SMARTという施設です。2つのサイクロトロン、AVFサイクロトロン及びリングサイクロトロンで加速した偏極重陽子ビームを陽子標的に照射しまして、磁気分析器SMARTを使って運動量分析を行った後、検出するという方向で実験を行ったわけです。
観測量ですけれども大きく分けて二つあります。一つは微分断面積、これは先ほどヴィタラたちが言った三体力が見えるという、ある意味三体力の大きさを見る上で非常に良い指標となっている観測量です。もう一つはスピン観測量です。これは最初の方で言いましたけれど、核力というのはスピン、荷電スピンに非常に依存する力ですので、三体力のスピンを見たいということで観測したものです。
微分断面積の結果をお見せする前に、微分断面積の測定というものは難しいということをお話したいと思います。三体力というのは基本的に二体力というもので簡単にマスクされる、つまり見えなくなってしまうということがありますので、非常に高精度の実験結果を得る必要があるわけです。ですので、実験的には微分断面積の絶対値を求めるということが要請されます。微分断面積はどのようにして得られるかというと、まず散乱で出てきた検出数、及び標的厚、ビーム電荷量、立体角、検出効率から求められるのですけれども、この各項目に関して精度の良い実験値を求める必要があるのです。ですので、測定によって得られる系統誤差を見積もるという工夫が必要となってきます。この測定において我々が行った工夫というのは、まず核子-核子弾性散乱、陽子-陽子弾性散乱というのは、今まで得られた豊富なデータベースがあるということを使いまして、我々の実験の測定器系とワールドワイドに知られている、世界的に押さえられている陽子-陽子弾性散乱の結果を比較することによって系統誤差を見るということを行ったわけです。それで、比較を行ったところ、2%以下に抑えられるということが分かりました。この値をもって微分断面積の値が系統誤差に関しては2%以下であるということを結論づけております。
では微分断面積です。横軸が散乱微分断面積の散乱角度で、縦軸が微分断面積の値ですね。エネルギーは核子当たり70メガエレクトロンボルト(MeV)及び135メガエレクトロンボルト(MeV)となっています。グラフの白抜きの丸が我々が得た実験データです。統計誤差も全てこの中に入っています。この実験結果と二体力だけを考慮したファデーエフ理論計算との比較を行ったところ、ご覧になって分かりますように、微分断面積が最小となるところで大きな差が見えるということが分かりました。 この差を見てあまり大きくないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、縦軸はlogスケールになっていまして、実験と理論との差が最大で約30%あるということが分かったわけです。このことを受けまして、藤田—宮沢型の三体力を主要成分とする理論計算が可能になってきまして、それと比較したところこのような結果が得られたわけです。ご覧になって分かるように、三体力というものを導入することによって実験値を再現するという結果を得ました。この結果をもってして散乱系を初めて三体核力の効果が見えるということが分かったわけです。
では、スピン観測量の方ですけれども、まずスピンというのは何かというと、量子力学系の系及び粒子の固有角運動量なのですが、基本的には磁石を内蔵しているような粒子であると思っていただければよいと思います。この磁気的な性質を使って核子及び重陽子のスピンの向きを揃えるということを行っています。スピンが無秩序の状態というのはこのようになっているのですけれども、この磁石の性質を生かしてスピンの向きを揃え、実験で使うという技術をもっています。これがスピン偏極した状態ですね。こういうビームを使って得られた観測量というものをこれからお話していきます。
その前にスピンの向きを測るにはどうしたらよいかということなのですが、スピン偏極したビームというものを標的に当てますと、散乱微分断面積には偏りが生じます。左側にやってくる粒子と右側にやってくる粒子の個数というものは異なります。この非対称度を測定することによって、我々はスピン観測量というものを得ることができます。その装置が理化学研究所で我々が開発してきたもので、偏極重陽子ビームを使うことによってできまして、偏極重陽子イオン源はこのようになっています。それと散乱の非対称度を測定する装置をここに置いて、磁気スペクトルメータSMARTを最下流に置きまして、スピンの観測量を測定しました。理化学研究所の偏極重陽子ビームイオン源というのは、スピンの向きをいろいろな方向に制御でき、それをずっと維持することができるという制御能力をもっていまして、これはどのエネルギーにおいてもなかなか難しいことです。低いエネルギーから高いエネルギーまでいろいろスピン偏極をさせた実験施設というのはあるのですけれども、理化学研究所の我々のグループではこの技術が実現している。理化学研究所の最大の特徴というのは全ての重陽子のスピン偏極分解能の測定が可能であるということです。ちょっと宣伝させていただきます。
スピン偏極分解能ですけれども、これは偏極したビームを標的に当てて散乱の非対称度を得ることによって得られます。右側の上がベクトル偏極分解能、下がテンソル偏極分解能といわれるものなのですけれども、上側の観測量は微分断面積と、まぁ似たような結果が得られたのですけれども、テンソル偏極分解能というものを見ると必ずしも今考えている三体力では実験値を説明できないということが分かってきました。

様子あたりの入射エネルギー135MeVにおける重陽子一陽子弾性散乱

さらに我々はスピンのより複雑な系を見てみるということで、スピン偏極移行量というものの測定を行いました。これは先ほどの観測量よりさらに難しい実験で、出てきた散乱粒子の偏極度を測定するというものになります。したがって倍以上の加速器のビームタイムを要するような測定を行ったわけです。その結果をもってしても三体力というものをスピンに関して見てみると、必ずしも実験値を理解していない、スピン観測量の理解というものは、現在考えられている三体力では説明できないということが分かってきたわけです。スピン観測量に関しては、大きな結論はまだ導けていないという状況なのですけれども、まず三体力の大きさという意味では微分断面積から大丈夫でしょうということが分かってきたわけです。一方より詳細な部分、三体力のスピンというものはまだ分からないということが明らかになったわけです。
その後なのですが、この結果を受けて、いろいろな実験施設で少数核子系の実験が行われるようになりました。理研以外でも大阪大学の核物理研究センターやオランダのKVI、アメリカのIUCFなどで実験が行われてきまして、今、100MeVから400MeV付近の弾性散乱の測定があるかというと、予言が出る前はこの程度だったのですが、今はこのくらいデータが揃ってきています。縦軸がスピン観測量及び微分断面積で横軸がエネルギーとなっています。

実験結果

理化学研究所は135MeVというエネルギーが中心になっているのですけれども、この我々の実験結果を基準にして、他の施設も必ず、まず135MeVを測定した後、各施設で特徴となる観測量を測定しているというような状況です。この状況を見て私が主張したいことは、三体力というのは、昔は理論の予想だけだったのですけれども、今や実験と理論の比較によって定量的に議論できるフェイズに入ったのだということです。理論的にも三体力というものは、今までははっきり言って無視されてきたところがあるのですが、やはり三体力というものは重要なのではないかという議論が進みまして、三体力を含む核力で原子核及びお星様の性質を理解しましょうという研究が進んでいます。一つは中間子交換理論をベースにして今まで議論をしてきたのですけれど、中間子交換理論というのはQCD(量子色力学)に立脚していないという弱点もありまして、よりQCDを意識した核力というものも出てきました。今EFTといわれる核力があるのですけれども、我々がやっているような少数核子系だけではなく、原子核及び核物質の状態方程式などにも適用されている核力です。もう一つがクォークから核力を記述するという研究の流れもできてきています。量子色力学の確立を受けまして昭和55(1980)年代にクォークとそれを結びつける粒子であるグルーオン力学に立脚して核力を記述するラティス(Lattice)QCDといわれる計算が出てきました。そのラティス(Lattice)QCD計算によって現象論的に解かっていた核力の性質が説明できる、ということが平成19(2007)年に石井、青木、初田の3名によって発表された論文によって示されたわけです。彼らの結果というのはこの赤い点線なのですけれども、より核子が離れたグループでは引力で、かつその核子が近づくと斥力を出すということが示されたわけです。現在は三体力に関してもラティス(Lattice)QCDによる研究が進んでいまして、ラティス(Lattice)QCDの核力によってどういうふうに3核子散乱というものが記述されるのかということを、こちら実験側としては楽しみにしております。
少数核子系に関するお話をさせていただきましたけれども、現在原子核力による原子核の構造の理解というものが進んでおります。一番インプレッシブな結果を一つご紹介したいと思います。
現在原子核というものは、核力を使ってカーボン12くらいまで計算することが可能になっております。たくさん計算結果があるのですが、二つ例を挙げます。一つがヘリウムイオン、もう一つがヘリウム8ですね。縦軸は原子核の束縛エネルギーといわれるものです。

原子核の束縛エネルギー(MeV)

実験値はこの値です。紫の線です。二体力といわれるもので計算した結果がこちらです。ご覧になって分かりますように、実験値と二体力の計算結果では大きな差があるということが分かります。ここで三体力というものを登場させたわけですけれども、三体力というものはこちら側の計算結果になっているというわけです。従って束縛エネルギーという原子核の非常に基本的な物理量なのですけれども、それを記述することにおいても三体力というものが重要であるということが示されたわけです。現在では原子核の励起エネルギーあるいは原子核というものがどこまで存在するか、中性子数と陽子数を軸とする核図表というものがあるのですけれど、いったいどこまで原子核というものが存在できるのか、原子核の存在限界を示す上でも三体力の存在が注目されています。
もう一つが平成22(2010)年くらいから話が盛り上がってきた中性子星です。現在中性子星においても三体力というものが注目されています。星の終焉で超新星爆発が起きたときに中性子星あるいはブラックホールが形成されることが知られていますけれども、平成22(2010)年にこれまで見つかったことがないような重い中性子星というものが観測されました。太陽質量の約2倍の中性子星なのですけれども、この説明をするにはどうしても三体力がないといけないということが理論的にいわれています。

中性子星の質量ー半径曲線

こちらがその理論計算なのですけれども、二体力だけでは縦軸が太陽質量に関する値ですが、二体力ではこの辺まで説明される。さらにストレンジネスを含んでいるようなハイペロン・核子相互作用というものが前から議論されているのですが、その値をさらに下げる方向にいってしまうということが分かっていまして、この2倍の太陽質量をもつ中性子星には三体力の斥力項というものが必要であるということが、今、議論されています。今、それにアプローチできるような実験というものを考えていかなければいけないのだと思っております。繰り返しになりますが、三体力というものは、今、予想から定量的な議論に進みました。そして理論も、三体力を含む核力で原子核、核物質を記述しようという流れができております。余談ですけれども、論文を出すときに、例えばこれはAmerican Physical Societyのほうですが、キーワードというものを書く必要があります。私が論文を書き始めたのは平成12(2000)年くらいからなのですが、その当時は三体力というキーワードはなかったのですが、平成22(2010)年からようやくThree-nucleon forcesというキーワードを選べる状況になりまして、時代も少し変わったのだなというふうに思った次第です。
三体力研究のこれからですけれども、いくつかキーワードを挙げます。核力を理解する上では、距離、スピン、荷電スピン、そして私は今までudのクォークだけの話をしてきましたが、クォークのフレーバーを変えることによってどういう核力であるかという研究があるかと思います。少数核子系、我々がやっている実験ですけれども今のところ距離、スピン、荷電スピンをアプローチする上では最高のプローブだと思っておりまして、三体力効果、三体力の構築のためには非常に重要なデータを得、研究の基礎になると考えております。最近では中性子過剰な原子核に関する実験、理論の研究が進んでおりまして、この原子核では荷重スピンというものが注目されるのではないかと思います。さらにクォークのフレーバーを変えることによって見える核力、バリオン間力ももちろんあると思っています。この研究も将来的には進んでくるのではないかと思います。
実験家としてこれからどういうふうに三体力にアプローチしていきたいか。今二つをベースに進めております。一つはより高いエネルギーでの3核子系散乱で短距離的な核力にアプローチしたい。もう一つは4核子系に展開することで荷電スピン依存性の三体力を見たい、というふうに考えています。より高いエネルギーでの3核子系散乱は、今理化学研究所のRIビームファクトリーという加速器施設で、これまでの100MeV付近から400MeVまでエネルギーを拡張して少数核子系による三体力の実験研究を進めています。この実験は平成21(2009)年からスタートさせていまして、いくつかデータを出しつつあります。もう一つは4核子系への展開、これは東北大学に移ってから始めたことなのですけれども、どうしても3核子系ではアプローチできない三体力というものがありまして、かつ中性子が過剰になるほど、あるいは中性子星などによって、また中性子星の状態方程式を理解する上で重要な荷電スピン依存型の三体力があります。これに実験的にアプローチしたいということがありまして、陽子-ヘリウム3という系で荷電スピン依存型の三体力を見るということを始めています。その一貫で、偏極ヘリウム3標的、やはり三体力のスピン依存というのは重要であると考えていますので、この開発を学生と今進めているところです。
本日のまとめですが、原子核を形作る力である核力の研究というものは、非常に古いのですけれども、今、ある意味でおもしろい、非常にエキサイティングな時を迎えています。核力の研究の最前線、研究の進め方としては、二つ流れがありまして、一つはクォークから核力を作ること、もう一つは、核子がたくさん集まったときに、三体力を含む核力で原子核、核物質がどのように理解できるか、という流れができております。我々が行ってきた重陽子—陽子散乱高精度測定というものは三体力というものを「理論の予想」から「定量的議論」へと進めるきっかけとなりました。現在、原子核から中性子星まで三体力がどのような振る舞いをするのか、注視されています。今後はさらに少数核子系の利点を生かして、まだ見ていない、アプローチしていない核力、三体力を見てみたいと考えております。共同研究者を紹介します。平成17(2005)年までは先ほど言いました磁気分析SMARTというところで実験しました。平成21(2009)年からはRIBF(理研RIビームファクトリー)で実験を進めています。この研究は理論の方のサポートが非常に重要でして、メインにはドイツのルール大学、ポーランドのヤゲロー大学の方と一緒に行っています。最近は東北大学に移りまして、私と学生という構成で実験を進めております。
最後に老子の言葉を紹介したいと思います。道は一を生ず、一は二を生ず、二は三を生ず、三は萬物を生ず。したがって自然の法則を導くには1、2でとどまらず、1,2から3に行って、2に戻っても良し、さらに多体系に行ってもよろしいという言葉で、今日はまとめたいと思います。どうもありがとうございました。

司会:どうもありがとうございました。ご質問等ございますでしょうか。はい、坂東先生どうぞ。

質問:すみません、三体系を考えるときに量子力学だと不確定性原理があるから自由度が減るという意味がよく分かりませんでした。

関口:古典力学の三体系がなぜ解けないかというのは、私の中では、基本的には自由度がたくさんありすぎて解けないというふうに理解しております。それで量子力学系にいくとハイゼンベルグの不確定性原理があるので、運動量と位置というのはある意味独立ではないので、自由度が減らすことができます。

司会:波動関数を考えたら座標のx だけでいいわけで、運動量p x の微分に過ぎないですからね。

会場:シュレディンガー方程式はx で書いても良いし、p で書いても良い。古典力学は両方要るわけです。量子力学では方程式の数が最初から半分でいいわけです。そうすると方程式を積分し、コンスタントを抜いて記述すると量子力学の三体問題は解けるけれども、古典三体系では2倍ある方程式のすべてを整合的に解くことができず、カオスとなって一般的には解けない。

司会:元々確率的なものだから、古典的にはカオスとなるものでも記述できるのでしょう。四体力、五体力というものはあるのですか。

関口:あります!物理屋は話が下手で、坂東先生はお上手ですけれども。最近断定的に言うことが重要だと思うことがありまして。きっとあります。ただ、四体力を見るとなるとさらに難しくなってきます。今の段階では、少なくとも三体力まででほぼ説明できるだろうと考えております。もちろん四体力が見える運動学条件というものが存在すれば、積極的に実験的にアプローチしたいと思っております。

司会:では第2回湯浅年子賞の授賞式と講演をこれで終わります。(拍手)

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