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お茶の水女子大学卒業生インタビュー(第3回) 中村裕子さん (国際通訳者)

 卒業生インタビュー第三回目のゲストは、1982年に文教育学部史学科を卒業され、1984年に大学院修士課程人文科学研究科を修了し、1989年に大学院博士課程人間文化研究科を全単位修了された、中村裕子さんです。中村さんは現在、通訳・翻訳会社を経営し、自ら国際会議などで同時通訳者としてご活躍中です。

中村裕子さん
   通訳を目指したきっかけは?
中村さん: 今、思い返すとアポロ11号の月面着陸をテレビで見た時に、初めて同時通訳者という職業があることを知りました。
高校時代から英語は好きでした。特に高校時代の広沢先生に大きな影響を受けました。高校時代に留学したいと思いましたが、先生から、留学して英語を学ぶ前に、ちゃんと日本語を学びなさい、しっかりした日本人になりなさいと教えられたことは大きかったです。
大学時代には週に一回ほどILCというイギリス系の英会話学校に通っていました。大学院では、近代政治史を研究しましたが、そのかたわら語学の勉強だけは続けていましたし、来日した方のアテンドをする機会もありました。
博士課程に入った頃、専門雑誌で通訳派遣会社について調べてみました。通訳者養成学校が併設されている派遣会社が多い中、ある派遣会社だけが直ぐ面接を受けさせてくれ、その後ぽつぽつと通訳の仕事が入るようになりました。
通訳の仕事に本腰で取り組もうと決意したのは1987年のことです。この年、ジャーナリストで作家のデビッド・ハルバースタム氏が著書『覇者の驕り』のキャンペーンで来日した際にアテンドをしました。彼はインテリジェンスにあふれた刺激的な人物でした。尊敬する彼から、仕事が無事に終わった時、「君がいて本当に助かった」と感謝され、通訳の仕事を通して人の役に立てることの喜びを教えてもらいました。
   会社を興した経緯は?
中村さん: 当初は個人で仕事をしていましたが、事務処理など個人では難しくなったため、1989年9月1日に公認会計士をしていた友人に手伝ってもらい、有限会社くのを設立しました。くのという名称は、先のデビット・ハルバースタム氏が、なぜか私を「YUKO」と呼ばずに「KUNO」と呼んでいたことを会社の名称を考えていたときに思い出し、会社名としました。その後、2006年に株式会社にしました。
   文科系ご出身なのに、なぜ科学技術を中心にした通訳をされているのですか?
中村さん: 会社を興した頃は、バブル経済の時期で、企業も政府もお金があり、外国から要人が来日した際の政治家や企業のパーティーでの通訳を始め、至るところで駆け出しの通訳者にも仕事の場がありました。
しかし、政治や経済などの通訳は微妙なニュアンス、感情など目に見えないことを伝える場面が多く、バイリンガルではない私には難しいものでした。私にはモノを介した通訳、論理を伝える仕事、具体的には科学技術の通訳のほうが向いていると感じました。ちょうど、日米半導体問題などが話題となっており、科学技術分野でも通訳の需要が増えてきていました。文系出身ですが、事前にしっかりと資料を読んで準備し経験を積んでいくと、文系でも科学技術などの会議で、今この瞬間に何が話されているのかを通訳することができるようになります。通訳派遣会社から仕事の依頼を受けることもありますが、私の場合は科学技術を専門に仕事をしてきたため、各種のお客様から口コミで、国際会議での同時通訳、新技術のプレゼンテーション、セミナーなどの仕事をしています。翻訳の仕事もしますが、私は国際会議での同時通訳など、瞬発力が要求される仕事の方が好きです。
   通訳という仕事の魅力は何でしょうか?
中村さん: 翻訳と違い、通訳という仕事は結果がすぐわかります。お客様が喜んでくれたか、満足したかは、その場でわかります。お客様からの「今日は良かったね。ありがとう。また、今度頼むね」という一言は何にも代えられないものです。小さな小さな達成感と感動を毎回味わえることがこの仕事の醍醐味です。お客様の満足した顔を見たいがためにこの仕事をしています。そのためには、事前にしっかりと準備します。同時通訳は一瞬の勝負ですが、そのために何時間もかけて準備します。私は性格的に、徹底的に、ここまでは必要ないかもしれないけど、全体が見えるまで準備します。ただ単にコトバを通訳するだけでなく、その製品、技術がどのような位置づけなのか?その技術は社会にどのような影響を与えるのか?など、私なりに理解できるまで準備します。そういう性分なのです。
   在学生に伝えたいことはありますか?
中村さん: 私は大きな組織に所属せずに、小さな会社を経営し通訳として生きてきました。そこで、思うのは、「言い訳をしない。ずるをしない。嘘をつかない。」この三つを守って生きていけば、そんなに悪い人生を歩むことはないと思うのです。
私が在学生の皆さんに伝えたいのは次の三つのことです。
一つ目は、大学に入学するまでは、受験がそうだけど「解」は一つしかないと考えますが、社会に出ると「解」は複数あります。高校時代のノリで、解は一つしかないと考えていると挫折します。いつかポッキリと折れてしまいます。人生の道は複数あることを理解し、頭を切り替えるのが大学時代です。「解は一つ。最短コースはどこ?」という考えから卒業することです。そして自分の前に道を見つけたら、地道に歩き続けること。思い通りにならない時には、怒っても、焦っても、あがいても状態は変えられません。思い通りにならない状態とつきあう力が大切です。つきあう強さを持つことです。そして、自分でこれはと思うことを続けていくと、必ずボールが投げられる、転機が訪れます。それを生かせるかどうかは、背中を押された時にそれに応えられるような自分を普段から創っているかどうかに掛かっています。
二つ目は、コトバの語彙を増やすことです。語彙が豊富であると言うことは、思考のきめ細かさにつながります。表現力と伝える力につながります。私は、大学院時代に明治大正期の政治雑誌を耽読し、さまざまなコトバや言説に接しました。今になると直接的ではないけれども、その経験が、通訳としての言語力につながっていると思います。語彙を増やすためには読書が大切です。
三つ目は、職業を選択する際の最初の分かれ道として、自分が人の痛み・苦しみに接する職業に耐えられるかを熟考して欲しいと思います。例えば、医師、弁護士、介護福祉士などは、職業上、常に何らかの痛みを持つ人たちと日々接することになります。大切な仕事であると同時に、強さを求められる職業です。果たして自分にはその強さがあるだろうかと自問してみて下さい。私自身は全く自信がなく、この選択肢は選べませんでした。通訳の仕事の中でも例えば裁判などに関わる仕事はできません。科学技術関係の仕事が多いのは、「ものづくり」の一端に関わっているほうが自分に向いていると思うからです。
   お忙しいところ、ありがとうございました。

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