CAMPUS GUIDE 2017 学生便覧
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1874お茶の水女子大学の前身東京女子師範学校の設立の布達1875「御茶ノ水」の地に開校(現東京都文京区湯島1丁目)1885東京女子師範学校は東京師範学校と合併し、東京師範学校女子部となる1886東京師範学校は高等師範学校となり、高等師範学校女子部となる1890高等師範学校から女子部を分離し、女子高等師範学校を設立1908奈良女子高等師範学校の設置に伴い、東京女子高等師範学校と改称1923関東大震災のため、校舎焼失1932現在地の新校舎に移転(東京都文京区大塚2丁目)1949お茶の水女子大学(文学部・理家政学部)設置1950文学部を文教育学部に、理家政学部を理学部および家政学部に改組1963大学院家政学研究科(修士課程)を設置1964大学院理学研究科(修士課程)を設置1966大学院人文科学研究科(修士課程)を設置1976大学院人間文化研究科(博士課程)を設置1992家政学部を廃止し、生活科学部を設置1997大学院人文科学・理学・家政学研究科(修士課程)を、大学院人間文化研究科(博士前期課程)に改組2004国立大学法人法により、国立大学法人お茶の水女子大学に移行2007大学院人間文化研究科を大学院人間文化創成科学研究科に改組2016大学院人間文化創成科学研究科生活工学共同専攻を設置141年の歩みと現在お茶の水女子大学は、1875年に御茶ノ水(現文京区湯島)の地に、東京女子師範学校が設立されたことに始まります。本学が設立された目的は、女子の教育を普及させるための女性教員の養成を目指したものでした。1879年、第1回卒業生は総勢15名。1890年に女子高等師範学校となってからは、我が国唯一の官立の女性のための高等教育機関として、全国の覇気に富む女性たちの憧れの的となりました。また、本学を巣立った女性たちは、次世代の女子教育を担い、日本各地の学校に赴任して教壇に立ちました。卒業生のなかには、東京女子大学長となる安井てつ、日本初の女性理学博士の保井コノ、国際的に活躍した女性科学者の湯浅年子など、多くの優秀な研究者や教育者がいます。現在の文京区大塚に移転したのは1932年、関東大震災(1923 年)で全校舎を焼失した後のことでした。現在使用している講堂(徽音堂)や大学本館、附属高等学校校舎、附属幼稚園園舎、大学正門は、その当時に建てられたものです。1949 年の戦後の学制改革によりお茶の水女子大学が発足、翌年文教育学部、理学部、家政学部(現在の生活科学部)の3 学部をもつ新制の女子総合大学となりました。戦後、種々の価値観が錯綜するなか、単独で大学昇格を果たし、数少ない国立女子大学として出発できたのは、女子教育への強い使命感と長い伝統・歴史があったからでした。その後、1963 年には修士課程を、1976 年には博士課程を設置するなど、教育・研究環境を整えながら、たゆみない発展と進歩を遂げてきました。お茶の水女子大学では、国立大学法人化に伴い、「学ぶ意欲のあるすべての女性にとって、真摯な夢の実現される場として存在する。」を使命として掲げています。1世紀以上にわたり、日本における女性教育の先達として、さらに世界屈指の女子大学として、常に現代社会に必要とされる高度な教養と専門性を備えた女性リーダーを育成するとともに、女性のライフスタイルに即応した教育研究のあり方を開発・実践してきました。それはまた、女性の生涯にわたる生き方のモデルの供給源として、男女共同参画社会を実現し、豊かで自由かつ公正な社会の実現に寄与することでもあります。本学が目指すのは画一的イメージにとどまるようなリーダー像ではありません。それは、「心遣い」「知性」「しなやかな強さ」を備えながら、同時に急激に変化する現代社会に柔軟に対応できる高度な専門知識と広い見識をもち、新たな事柄に挑戦することのできる女性像です。研究理念は、人間性を磨き、知の限界に挑戦し、新たな世界を拓くこと。規模は小さいながら人文社会科学・自然科学・生活科学がそろった大学として、これまで一貫して従来の学問領域を横断する新しい視点に立ち、社会が求める研究分野をいち早く開拓してきました。その姿勢と実績は社会的にも高い評価を得、数々のグローバルCOEプログラムをはじめ各種大型教育研究予算を獲得しています。日本初の官立女子高等教育機関研究・教育の拠点を担う女子総合大学未来を担う女性を育む高度な教育明日を切り拓く斬新な研究関東大震災前の本校全舎

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